プロ野球選手として、いちばん大事なのは「環境」!【元ロッテ・里崎智也が語るプロ野球選手論④】
読者のみなさま、新年あけましておめでとうございます。全国のマリーンズファンにお届けしてきたこのコラム。2015年の1発目は、当初の予定より大幅にボリュームアップしてお届けしてきた里崎智也氏の超ロングインタビューが、よもやの越年! きっと心は今でも千葉ロッテマリーンズとともにあるに違いない大天使の、よそでは読めない本音トークで、よい正月をお過ごしくだされ!!
2015/01/01
強豪校ではありえなかったヒゲ面捕手の台頭
──4回にわたってお送りしてきたインタビューも今回が最後ということで、ここはプロ野球選手・里崎智也がいかにして形作られたかにも触れないわけにはいきません。そもそも、プロ野球選手のなかではかなり特異とも言える、その〝目立って結果出してナンボ〟的な精神は、いつ頃から芽生えていたんでしょう?
里崎 意識的にやり出したのはプロになってからですけど、いかに目立つかってことは大学の頃から考えてましたね。僕が入った帝京は、大学野球の世界では決して強豪校ではなかったから、早稲田や駒澤みたいな伝統校にはあるその学校のカラーみたいなものも、わりと曖昧でね。それが僕にはかえっていいほうに働いて、結果的に自分の色をガンガン出して行けた。当時は、「剃らんほうが調子いいねん」とか言いながら、ありえへんぐらい汚らしいヒゲ面のまま試合に出たりもしてましたし(笑)。
──確かに、早稲田で不精ヒゲの選手なんて見たことないですからね(笑)。となると、大学を選ぶときも、意図して、そこまで強くはない帝京を選ばれたとか?
里崎 それはないですね。僕自身は、出身も徳島の田舎ですし、甲子園に行ったわけでもないから、みんなが思ってるほど自分の実力が高いとは思ってない。どっちか言うたら、まわりが過大評価してくれたおかげでここまで来れたって気持ちのほうが強いんです。だから、大学に行くときも、顧問の先生(高橋広氏/今季より早大野球部監督に就任)が「サトは大学行ったほうが伸びると思う」って言うてくれたから、「じゃあ、行こうかな」って気になっただけ。10代から働きたくなかったし、東京行けるんやったら、ええやんって(笑)。
ランクを落としてこそ入れたイケイケゾーン
──そこは、ごく一般的な高校生と変わらないですね。ミーハーな心が先に立つと言いますか。
里崎 先生から、「大学行くなら、関係者にも見てもらえる機会の多い、東京へ行け」って言われて、言われるがままに、二つ返事で「はい、そうします」と。ホンマは亜細亜とかにも推薦で行けたらしいんですけど、当時の亜細亜にはのちに中日に入る中野(栄一/96年ドラフト4位)さんっていう有名な捕手がいて、そうなるとベンチ入りできる保証はない。だったら、ってことで、先生が選んでくれたのが帝京だったというわけです。
──強豪校でくすぶるぐらいなら、そのほうがいいという判断で?
里崎 そうですね。当然、強豪校へ行って、そこでレギュラーになるのがベストではあるんですけど、先生の言葉を借りれば、「無理に強豪校を選んでベンチ以下になるよりは、自分の実力に合わせて学校を選んで、そのなかでトップを目指すのも、能力を伸ばせる選択だ」と。それに、弱いチームに入って、そこを勝たせるってほうが僕の性分にも合っていた。実際、僕らが(首都大学リーグで)優勝したのも、10年以上ぶりの快挙とかでしたしね。まぁ、先生のなかでは、たとえ強豪校でベンチ外になるぐらいなら、帝京でレギュラーを張ってるほうが、よっぽど就職には有利やろうっていう現実的な判断もあったみたいですけどね(笑)。
──イケイケに見えて、実は冷静沈着な里崎さんの原点には、恩師の教えが活きているわけですね。
里崎 強豪校にはイケイケのやつが、すでにいっぱい集まってますし、そこに割って入るんは並大抵のことじゃない。でもランクを落とせば、ちょっとがんばるだけで、すぐイケイケゾーンに入れますから(笑)。そういう実体験の積み重ねが、現在の価値観を作り上げていったのは間違いないですね。