辻内崇伸、ドラフト1位の肖像――「ドラ1の宿命、自分の扱いは『異常だ』」|第4回
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。(2016年10月31日配信分、再掲載)
2020/04/09
田崎健太
電車通学すら大変な状況
夏の大会が終わると、高校3年生は野球部から「引退」する。
大阪桐蔭高校の辻内崇伸もそれまで住んでいた野球部の寮を出て、自宅から学校まで通うことになった。入学以来、寮生活で野球漬けになっていた野球部員にとって、同年代の女子と同じ列車で通うという生活は憧れだった。
しかし――。
辻内は近鉄奈良線の車両に乗っていると、新聞を読んでいた男が、辻内の顔をじろじろ見てきた。
「お前、辻内やろ。ここにサイン書いてくれや」
サインなどないと戸惑いながら、楷書で「大阪桐蔭 辻内」と書いた。
あのときは困りましたと辻内は苦笑いを浮かべた。
「関西のおっちゃんたちはすごいです。電車の端から端まで聞こえるんちゃうかなという大声で、〝辻内君、頑張ってやー〟とか言うんです。もう少し小さな声で言うてくれたらええのに。それからぼくが、あの時間に電車に乗っていることが伝わって、大変でした。ダルビッシュさんとか、あんなモテてええなと思っていたけど、自分の身になったら、大変だった。甲子園の力は凄いなと思いました」
読売ジャイアンツにドラフト1位指名されてから、その熱狂はさらに増した。
「知らん人が家に来たり、待ち伏せされたりとか。普通のことが普通に出来ない。それはホンマに嫌でしたね。それはそれで楽しい人生やなと思うようにしましたけど」