辻内崇伸、ドラフト1位の肖像――「戦力外通告にほっとした。野球人生に悔いなし」|第5回
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。(2016年11月1日配信分、再掲載)
2020/04/10
田崎健太
肩が治るんだったら……
現在、辻内は日本女子プロ野球機構所属の『レイア』のコーチを務めている。未だに肩の痛みがあり、軟球でさえ投げられない。草野球に誘われるときは、投げる機会の少ない1塁手が定位置である。
「この肩が治るんやったら、ホンマ、何でもしますよ。肩が治ったら、まだ投げられるんちゃうかなと、たまに思ったりします。ある日、朝起きて痛みが消えていたら、一番最高。泣いてまうでしょうね」
最後に辻内にこう尋ねた。
もう1回、人生をやり直すことができれば、ドラフト1位で指名されたいですか、と。
彼は「どうですかね」と首を傾けた。
「違う人生を歩みたいという気持ちはあります。小学校とかに戻るんやったら、野球はやらない。もうちょっと格好いい、サッカーとかテニスとかやりたいですね。大阪桐蔭のあんなしんどい練習は二度とやりたくないですから。あれは地獄でした。でも、あの練習でプロになれた。それは感謝してます。ぼくの人生で自分の思ったような速球を投げられたのは、3、4年ぐらい。それで野球人生を終えたことは後悔はしていないです」
そう言うと、日に焼けた顔をほころばせて、にっこりと笑った。
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【プロフィール】
辻内崇伸(つじうち・たかのぶ)
大阪桐蔭高校3年時、夏の甲子園1回戦の春日部共栄戦で152km/hをマーク。一気に注目を浴びる。2回戦の藤代戦では当時の大会タイ記録となる19奪三振を記録。同校をベスト4へ導く原動力に。05年の高校生ドラフト会議では読売ジャイアンツとオリックス・バファローズとの競合の末巨人が指名権を獲得し、1巡目指名で入団。しかし、プロ入団後は度重なる故障に悩まされ、結局06年から引退する13年まで一軍公式戦出場はなかった。引退後、2014年より日本女子プロ野球機構(JWBL)の埼玉アストライアのコーチ、2016年からはレイアのコーチを務める。
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『ドライチ ドラフト1位の肖像』
【収録選手】
CASE1 辻内崇伸(05年高校生ドラフト1巡目 読売ジャイアンツ)
CASE2 多田野数人(07年大学生・社会人ドラフト1巡目 北海道日本ハムファイターズ)
CASE3 的場寛一(99年ドラフト1位 阪神タイガース)
CASE4 古木克明 (98年ドラフト1位 横浜ベイスターズ)
CASE5 大越基(92年ドラフト1位 福岡ダイエーホークス)
CASE6 元木大介(90年ドラフト1位 読売ジャイアンツ)
CASE7 前田幸長(88年ドラフト1位 ロッテオリオンズ)
CASE8 荒木大輔 (82年ドラフト1位 ヤクルトスワローズ)