山田哲人はなぜスターダムにのし上がったのか#1――恩師が目の当たりにした驚異的な変貌
2年連続トリプルスリーを達成し、あっという間に球界を代表するスター選手へ駆け上がった山田哲人。きっかけは高校時代にある。
2016/11/26
プロへの道を切り開いた一打
あの一打がなかったら彼の人生はどのようなものになっていただろうか。
プロ野球史上初めてとなる2年連続トリプルスリーを達成した山田哲人(ヤクルト)の活躍を見るたび、そんなことを想う。
時は2010年、高校3年夏にまでさかのぼる。
夏の大阪府大会4回戦・履正社対PL学園戦の9回表のことである。
2点を追う履正社は1死2、3塁のチャンスをつくり、3番の山田哲人を迎えていた。このまま無得点だと試合に敗れてしまう窮地の場面である一方、一打が出れば同点に追いつく絶好のチャンスに、チームは、指揮官は、その運命を後にプロ野球界にて偉業を達成する男にゆだねていた。
山田はバットを振りぬいた。
ピッチャーマウンドのやや左を抜ける会心の打球だった。
PL学園の遊撃手・吉川大幾(巨人)は必死に飛びつくも届かず、打球はセンターへと抜ける起死回生の同点タイムリーだった。
「それまでの自分やったら、絶対に打ててない。その試合は熱中症にかかってしんどかったんですけど、アドレナリンが出て、死ぬ気で立ち向かった打席だった。自分のせいで負けてきたチームでしたからね。もう、迷惑はかけられない。センター前に抜けた時は最高でした」
「ここ一番の場面でちびってしまう」男が一つのヤマを乗り越えた瞬間だった。
この一打で同点に追いついた履正社は延長10回に勝ち越し、創部初めて夏の大会でPL学園を破った。その後、大阪大会を駆け上がり、甲子園に出場。本大会でも3回戦に進出した。山田は3回戦の聖光学院戦で歳内宏明(阪神)から左中間スタンドに本塁打を放つ活躍を見せた。
山田の評価はこの瞬間に決まったようなものだった。
始まりはあの一打からだった。
どのようにして、あの一打は生まれたのか。その背景をたどるため、大阪府茨木市にある履正社高・岡田龍生監督のもとを訪れた。