山田哲人はなぜスターダムにのし上がったのか#1――恩師が目の当たりにした驚異的な変貌
2年連続トリプルスリーを達成し、あっという間に球界を代表するスター選手へ駆け上がった山田哲人。きっかけは高校時代にある。
2016/11/26
意識を大きく変えた、2年秋の大阪大会
そんな山田に転機が訪れたのは、高校2年の秋の大阪大会でのことだった。最終学年でチームの中心選手となり、センバツ出場を目指して大会に挑んでいた山田ら履正社は府大会準々決勝でPL学園戦と対戦した。
1回表、先行だった履正社が幸先よく先制。しかし、その裏、山田と中堅手の間にとんだ飛球を山田が落球、そこから3失点。その試合に敗れたのだ。山田はノーヒットだった。
春のセンバツ大会につながる大事な試合を落としただけでなく、ドラフト候補と騒がれた吉川大幾、勧野甲輝(元楽天など)のいるライバルのPL学園の前に力の差を見せつけられたのは屈辱以外の何物でもなかった
指揮官の岡田は、山田の失策が敗戦を招いたとは思ってはいなかったが、当の山田本人が重く受け止めていたのである。
高校時代に本人はこんな話をしている。
「ホンマあの試合は悔しかった。自分のミスで負けて、バッターボックスでも結果が出なかった。どうでもいい試合では打てるのに、相手がPLとか大事な試合になると結果が出ない。“ココイチ”弱いなと、それを一番感じた試合だった」
岡田がコンコンというよりも、効果的な出来事だった。山田はこの試合を境に考えを変えるきっかけとなるのだった。
岡田は力説する。
「僕らの時代は殴られて、蹴られて、それで『やれ』と言われてやるような時代でした。嫌々やっていたところもありましたが、『窮鼠猫を噛む』というか、追い詰められて開き直りみたいなのが生まれて前に進むんです。でも、今は時代が違う。どつかへんのは当たり前として、僕らがナンボいうても、本人が感じないといけないということ。あの試合は山田のせいで負けたとは思っていなかったんですけど、本人は感じていた。そこから、180度、取り組みが変わりました。進路の話をすると、本人からプロに行きたいという言葉まで出てくるようになりましたから」