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田中賢介は、かつての庭で輝きを取り戻せるか?――〝守備〟の名手が〝守備〟に苦しんだアメリカでの2年

2015年シーズンは、メジャーリーグからの復帰組が多い。再び日本ハムをけん引する田中賢介はリーダーとして、安定した守備と巧みな打撃を期待されているが、名手としてアメリカに挑戦した田中にとって、まさかのその〝守備〟に苦しめられるとは思ってもみなかっただろう。

2015/01/05

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メジャーで、まさかの守備に苦しめられた

 日米関係者を驚天動地させた黒田博樹の古巣・広島復帰だけでなく、今季は松坂大輔がソフトバンクへ、中島裕之がオリックスへと日本球界に帰ってくる。もう一人、帰国を決断したのが、日本ハムに復帰する田中賢介内野手だ。
 
「あとはファイターズに身を捧げ、ボロボロになるまで働きたい」
 
 昨年12月17日。外は激しく雪の舞う札幌市内の球団事務所で入団会見に臨んだ田中は、残るキャリアを日本ハムで全うする覚悟を口にした。2年契約で総額3億円プラス出来高。背番号はかつて背負っていた「3」に決まった。
 
 米国での2年間で、メジャー出場はルーキーイヤーだった13年ジャイアンツ時代の15試合だけ。生き残りをかけた米2年目の昨季はレンジャーズとマイナー契約を結び、招待選手としてメジャーキャンプに参加した。だが、開幕直前にカットされ3Aスタート。そのまま昇格の声がかかることはなく、7月末に本人の希望で自由契約に。未所属のままシーズンを終えた。
 
 異国の地で、田中が何よりも苦しんだのは意外にも守備だった。日本ハム時代には06年から5年連続ゴールデングラブを受賞した名手。自信を持っていたはずの守備が、まさかの足かせとなった。
 
 13年ジャイアンツ傘下3Aフレズノでの起用が如実に物語る。
 序盤は本職の二塁手として起用され55試合の出場。ところが送球難から二塁手失格の烙印を押され、終盤は左翼手での起用が増え30試合にも出場した。この起用を見て、14年レンジャーズのロースター表では、田中を外野手として表記していたほどだ。
 
 流麗の名手に、一体何が起こったのか。田中の送球を狂わせた最大の要因は、日本人投手の最初の壁となる大リーグ公式球の存在だった。
 縫い目のヤマの高さや、滑る革質など、投手はその違いから対応に苦しむが、当然野手にとっても同じ条件なわけだ。とりわけ、一塁から距離が近く、併殺プレーも含めて時には繊細なスローイングも求められる二塁手。ボールの違いが、多くの投手と同じように、田中を惑わせた。
 
 加えて、日本人内野手はメジャー移籍と同時に、守備の作法をまず矯正される。グラブさばきや、足さばき。例えば日本では正確性を損ねるため御法度とされる逆シングルでの捕球は、メジャーでは送球に移りやすいとして推奨される。日本野球は打球に対して可能な限り回り込んで、丁寧に正面に入って捕球するのが主流。打球への入り方が異なるため、足さばきも自然と異なってくるのだ。
 ボールに慣れきる前に、この矯正を徹底的に受けた。田中が混乱するのは想像に難くない。

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