「田邊監督と過ごした時間だけでも、プロに行った価値はあった」星秀和、引退を決断した理由【中島大輔 One~この1人をクローズアップ】
『ベースボールチャンネル』ではこれまで独立リーグから、再びプロ野球入りを目指す元埼玉西武ライオンズの星秀和を追いかけてきた。その星が引退を決断をした。直接、本人に引退を決断した理由と、今後について直撃した。最後にファンの皆様へメッセージを預かったので、ここで披露したい。
2015/01/06
Daisuke Nakajima
片岡との自主トレで気が付いた、心の〝異変〟
2014年12月中旬、まだ翌シーズンの所属先が決まっていない星秀和(元西武→BCリーグ・群馬)は、沖縄に飛んだ。
日本列島最南の地は、希望を紡ぐための場所だった。
すでに第2回合同トライアウトから1カ月近くが経過している。星は厳しい現実を受け止めつつ、前に進もうとしていた。
「左ピッチャーでもない限り、プロ野球から2年離れたら復帰はまずないですよね。野手で僕みたいなタイプはいっぱいいると思うし。これ以上野球を続けるとしたら、ご褒美ラウンドですよ。稼げるわけじゃないから。それでもいいと思っていました」
選択肢は独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスで続行することに加え、韓国や台湾、フランスに渡ることも考えていた。欧州の球団は星の獲得を望み、首を縦に振ればすぐにでも話が進展する状況だった。
そうして迎えた12月中旬、沖縄に渡ったのは巨人の片岡治大に自主トレに誘われたからだ。社会人の東京ガスからプロ入りした片岡は星の3歳上で、ふたりは04年ドラフトでともに西武から指名されている。
南国で体を動かしはじめてすぐ、星は自身に異変を感じた。長距離を走っても、ベンチプレスを上げても、最後の踏ん張りが利かない。懸命に練習する先輩の隣で、無意識に力を抜いている自分がいるのだ。
「身が入らなかったんです、全然。自分ではそういうつもりじゃないんですけど。ベンチプレスでもスクワットでも、もうひと踏ん張りみたいなのがあるんですよ。限界までやって、『あと1回これを上げたら、ヒット1本打てるんじゃねえか?』って。それが全然なかった。すぐにあきらめて、力が入らなかった。目標がないから」
なんで、こんなにきついことをやっているのだろうか? プロ野球選手として10年間プレーしてきて、初めての感覚を味わった。NPB復帰という目標が断たれ、骨抜きになっている自分に気づいた。来季、どこかで野球を続けても、身が入らないに決まっている。そう悟った星は、沖縄にやって来て数日で決断を下した。
最初に伝えたのは、自主トレに誘ってくれた片岡だった。1週間の合宿を終え、帰京する前の日の晩。杯をかわしながら、星は「引退しますわ」と切り出した。
「えっ? やめんの? じゃあ、なんで沖縄に来たの?」
片岡の反応は、当然のものだろう。だが星にとって、覚悟を決められたのは先輩のおかげにほかならなかった。
「片岡さんと一緒に練習して、『自分も片岡さんみたいな取り組み方じゃなきゃいけないのに、以前の自分はそうやっていたはずなのに、いつの間にかそうじゃなくなっている』というのがわかったんです」
沖縄に連れてきてもらって、ありがとうございました――。そう伝えた星は、「どこかで手を抜いているんですよ」と告白した。片岡は「どこかでというか、隠す気もなかったじゃん」と笑った。いつものように明るく、軽く振舞う先輩が、本当にありがたかった。
「きれいに終われましたよ。沖縄で燃焼することができました。よく引退を決める選手って、『昔は打てた球が打てなくなった』とかあるじゃないですか。僕にはそんなに繊細なものはないし、練習の中のほうが気づきやすかったです。1軍で出ているより、練習の時間のほうが圧倒的に長かったから」
西武に04年ドラフト5巡目で入団し、1軍で出場したのは129試合。自身最多の71試合に出場した12年には掛布雅之と酷似する打撃フォームで話題になったが、スポットライトを浴びた瞬間はわずかだ。多くの時間をベンチや2軍で過ごしながら、ひたすらバットを振り続けた。
11年から右ヒジ靭帯に痛みを抱えながらプレーし、13年限りで西武から戦力外通告。自費で手術を受け、14年6月から独立リーグでプレーした。どんな状況でも頑張ることができたのは、たったひとつ、目指す先があったからだ。
「ずっと練習ばかりやってきたのは、目標があったからです。いままでは『目標に向かって走っている自分が好き』みたいな感じだったのに、どこに走っているかわからなくなっちゃって、気づきました。『お疲れした』って(笑)。ホント、『お疲れした』って思ったんです」