元ロッテ・香月良仁のプロ野球人生#1「亡き父が僕に野球を続けさせてくれた」
今季、千葉ロッテマリーンズを退団した香月良仁。自身の野球人生は、いつ途切れてもおかしくなかった。しかし運命的な野球人との出会い、さらに野球を諦めさせなかった今は亡き父の存在によって、香月はプロ野球という限られた人しかプレーできない世界に足を踏み入れることができた。
2016/11/22
転機となった2人の野球人との出会い
当時の福岡六大学野球連盟には九州共立大学の4年生に新垣渚(元ヤクルト)が、3年生に馬原孝浩(元オリックス)がいた。彼らの姿を見ながら「うわっ、凄いな。これがプロに行けるピッチャーなんだ」と自分とのレベルの違いを痛感した。
そんな折、良仁に転換期が訪れた。
たまたま臨時コーチで来ていた初老の男性にフォームを変えるように突然、指示されたのだ。
「当時の自分はフォームがめちゃめちゃ大きくて村田兆治さん(元ロッテ)みたいだったんです。それをキャッチャー投げにしろって突然、言われて……あくまでイメージの話ですけどね」
今のままでもどうせ下手くそだからと、言われるままにフォームを変えた。
すると、どうやっても120キロ台しか出なかったストレートが突然142キロを計測した。
助言をくれた初老の男性は福岡大学でも監督を務めていた寺田昭範氏だったことをあとになってから知った。寺田の助言が、良仁の運命を変えて、大学1年生にしてリーグ戦でも登板するピッチャーへと突如として変貌したのだ。
あのとき父の言っていたことは本当だった。
そんな良仁に、自身の人生も左右する運命的な出会いがあった。
熊本ゴールデンラークス(現在の鮮ど市場ゴールデンラークス)で監督を務めている田中敏弘氏との出会いだ。
田中は父で鮮ど市場の創業者で現在は会長を務めている田中弘文に、同チームの創設を懇願し、それが認められ、自身の足を使って選手獲得に各地を奔走している最中だった。
田中から勧誘の際にこんな言葉を言われた。
「18番を用意するからうちに来ないか」
初めて野球で人に求められたことが素直に嬉しかった。
しかし、当時痛めていた肘の状態は芳しくなかった。