元ロッテ・香月良仁のプロ野球人生#1「亡き父が僕に野球を続けさせてくれた」
今季、千葉ロッテマリーンズを退団した香月良仁。自身の野球人生は、いつ途切れてもおかしくなかった。しかし運命的な野球人との出会い、さらに野球を諦めさせなかった今は亡き父の存在によって、香月はプロ野球という限られた人しかプレーできない世界に足を踏み入れることができた。
2016/11/22
父の死、プロ入りまでの期限
熊本に移り住んだ社会人1年目、良仁は野球をこのまま続けるか否か悩んだ。
そんな折、福岡に帰省した良仁は、肘のこと、そして野球を諦めることを父が営む鉄板焼き屋に出向き伝えに行った。
「俺はもう無理や。手術もせんでこっちに帰ってくるけん」
すると、父は猛反対した。
「ダメだ! 手術してでも野球を続けろ」
でも、良仁は素直にその言葉を受け入れられない。
「今、手術しても1年は棒に振るし、プロなんて絶対に無理や」
結局、答えが出ないまま店を出た。
その日の夜中、突然電話が鳴った。
一瞬、耳を疑った。それがさっきまで会っていた父の訃報だったからだ。
死因は心筋梗塞。目の前が真っ暗になった。
「これで福岡に母一人残すことになるんだな……」
目を真っ赤に腫らしながら、心の中でそう呟いた。
「今度こそ野球を辞めよう」そう決心した。
熊本に戻り、田中にその旨を伝えに行った。
すると田中はこう言った。
「いや、俺はお前を絶対に辞めさせん。俺はお前の親父から頼まれているから辞めさせるわけにいかん。手術してまた投げるんだよ」と、猛烈に引き留められた。
その言葉が涙が出るくらい嬉しかった。
自分の将来のことを考えて、ここまで真剣に、まるで家族のように叱って引き留めてくれるなんて。
そこで自分に期限を決めた。
「あと2年間だけ野球を続けさせてくれ。それでプロに行けんかったら俺、本当に辞めるけん」
すでにプロの道に進んでいた兄・良太と、福岡で一人暮らしをする母にそう告げると、兄は気持ちよく協力を約束した。
「俺はずっとそう思っていたよ」
手術が成功してから2年間は自分の記憶がなくなるくらい全てを野球に注いだ。
「朝は6時くらいに起きて(鮮ど市場の)仕事に行くんですけど、そこから昼まで働いて14時か15時くらいに練習開始。当時はランニングひとつとっても無茶苦茶走っていたと思いますよ。練習が終わって19時か20時くらいに一度、食事をしに家へ帰るんですけど、そこからまた24時くらいまでジムに通ってトレーニング。あとは帰って寝るだけの生活だったので、この2年間の記憶は全く覚えていないです」
死に物狂いの努力が実って、熊本ゴールデンラークスはチーム初の都市対抗野球に出場、その年の秋には日本選手権にも出場して、香月良仁の名前はプロのスカウトの間でも知られるようになった。そして08年のドラフト6巡目で千葉ロッテマリーンズに入団。
ようやく天国の父に報告ができる、そう思った。