的場寛一、ドラフト1位の肖像#1――忘れられない、阪神入団を決めた時の父の一言
1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神タイガースに入団した的場寛一は、将来を嘱望される期待の大型遊撃手だった。しかしプロ入りの野球人生は試練の連続だった。(2016年12月1日配信分、再掲載)
2020/04/11
田崎健太
厳しい父の教え
父親の康司は、的場にとって最初の指導者だった。
康司は80年頃から、スポーツ用品店の経営の傍ら、ボーイズリーグの『兵庫尼崎』のコーチを務めていた。兵庫尼崎は康司の父が創立したチームだった。
的場は3、4才の頃、兵庫尼崎の選手たちが週末、家に泊まりに来たことを覚えている。
的場家は二部屋の小さなマンションに住んでいた。多いときには、その小さな家に十数人の少年が家にやってきた。子どもたちが入れないからと、的場の母は実家に帰らされたこともあったという。
「みんな夜中までゲームして、眠くなってら寝るみたいな感じでした。夜中に車に乗ってみんなで釣りに行ったりもしていましたね。少年野球のコーチと選手はこんなもんかと思っていたけど、今考えたら子どもを育てる環境としては最悪でしたよね」
兵庫尼崎では、大会前に全員が髪の毛を短く刈るという暗黙の決めごとがあった。
ところが主力投手が髪の毛を伸ばしているという話が康司の耳に入った。そこである夜、的場家に寝ていた投手の手足を他の選手が押さえつけて、康司がバリカンで髪の毛を無理矢理刈った。
「羽交い締めにしていたのを覚えていますわ。丸坊主になった頭をぼくがハゲ、ハゲってパチパチ叩いていました」
その投手の名前は伊良部秀輝という。
千葉ロッテマリーンズ、ニューヨーク・ヤンキース、阪神タイガースでプレーした右腕投手である。
「その後、ぼくが小学校5、6年生のとき、伊良部さんがロッテに(ドラフト1位で)入った。チームには〈伊良部秀輝寄贈〉って書かれたバッティングマシンがありました。ぼくらにとっては伊良部さんは(漫才コンビの)ダウンタウンと匹敵する尼崎の誇りですよね」
伊良部の後、兵庫尼崎は何人ものプロ野球選手を輩出している。
早くからずば抜けた能力を示していた伊良部たちを見ていた康司は、息子に冷淡だったという。
「お前なんか(プロに)なれへん、みたいに育てられました。父親から技術とか教えて貰ったことはないです。ほったらかしですよ。だから、ちっちゃい頃からずっと焼きもちを焼いてました。他の選手を家に連れてきて、どっかに遊びに行くけど、ぼくは全然構ってくれない。だから逆に何糞って感じで、できたのかもしれません」
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