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的場寛一、ドラフト1位の肖像#2――プロ入りして気づくメディアの恐ろしさ「今から考えると少し鬱病」

1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神タイガースに入団した的場寛一は、将来を嘱望される期待の大型遊撃手だった。しかしプロ入りの野球人生は試練の連続だった。(2016年12月2日配信分、再掲載)

2020/04/12

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田崎健太



突然の広報からの連絡

 さらに――。
 正月、尼崎の実家に滞在していた的場の電話が鳴った。相手は阪神の広報担当者だった。
 
「元旦か2日だったと思います。大学が休みだったんで、ゆっくりしていたわけですよ。そうしたら〝的場君、1月4日空いている?〟と。自主トレ風景を撮影したいので、形式的に甲子園で練習して欲しいっていうんです」
 
 いやいやいや、と的場は一度は断った。しかし、広報の説得で〝自主トレ〟をすることになった。
 
「ぼく、そのとき布団の中にいたんですよ。全然身体、動かしてなかったです。えらいこっちゃと、ボーイズ(リーグ時代)の友だちに連絡して、〝ちょっと手伝ってくれへんか〟と」
 
 翌日の『デイリースポーツ』紙の記事はこうだ。
 
真冬とは思えないポカポカ陽気の中で「我が庭」となる甲子園球場の感触を存分に味わった。ランニング、キャッチボール、ペッパーと軽くこなし、約1時間で「甲子園独占自主トレ」をフィニッシュ。「人がいなかったから寂しかったですよ」というジョークも目は笑っていなかった。野村監督が今季に勝負をかけるように、的場もこのプロ1年目に自身の未来を見据えていた〉(2000年1月5日付)
 
 ドラフト1位、期待の新人選手が自ら志願し甲子園で自主トレを始めたという調子である。
 的場はこう振り返る。
 
「内野には入れなかったんですよ。ファールゾーンと外野芝生は使ってもいいよと言われて。でも、友だちと二人でやれることなんか、知れてますよね。キャッチボール、ペッパー、トスバッティング、バッティングはできない。もうええの?っていう雰囲気で終わりました」
 
 スポーツ新聞側から何らかの形で的場の記事を作りたいという要請があったか、あるいは、広報が気を利かせたか――。どちらにせよ、選手のため、ではなかった。

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