的場寛一、ドラフト1位の肖像#2――プロ入りして気づくメディアの恐ろしさ「今から考えると少し鬱病」
1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神タイガースに入団した的場寛一は、将来を嘱望される期待の大型遊撃手だった。しかしプロ入りの野球人生は試練の連続だった。(2016年12月2日配信分、再掲載)
2020/04/12
田崎健太
春季キャンプで気が付いた距離感
2月、春のキャンプが始まると的場は自分に対する先輩選手たちの対応がよそよそしいことに気がついた。
「ファン感謝デーのとき、ぼくについての質問があったらしいんですけれど、〝大卒と言っても所詮アマチュアやから1年目は苦労すると思う〟っていうコメントばっかりなんです。俺、なんか悪いことしたかなぁと思ってました」
端正な顔立ちをした的場は、監督の野村克也から「ジャニーズ系」と称されていた。地元尼崎出身、見栄えのいい的場は、関西のメディアにとっては恰好の取材対象になっていた。
「関西と九州って温度差があるんです。関西のスポーツ紙にはぼくの記事が一杯出ていたらしいんですけど、(大学生活を過ごしている)九州では出ない。甲子園で志願の自主トレしたりとか、生意気な奴が入って来たと思われていたんです。先輩たちに挨拶したら、どうも風当たりが強い。そこで気がついたんです」
以降、的場は報道陣と距離を置くようになった。
「何かを質問されても、そうですねと同意しない。一旦否定して、自分の言葉で言い直さないといけないことを学びました」
また、プロの練習の厳しさは想像以上だった。
「当時、暗黒時代の阪神だったじゃないですか? なめていたところがありました。大学ではショートのポジションに五、六人いますから、なかなか練習は回ってこない。プロは一対一」
キャンプ初日から周囲の選手との違いをまざまざと見せつけられた。
「プロの選手は派手さはないんですけれど、確実にボールを獲る。アマチュアはイレギュラーしたボールはなんとか獲れたとしても、送球がずれる。プロはちょっとイレギュラーしても何気なく捕球して、普通に投げる。難しいことを当たり前のように出来るのがプロ」
的場は「大学時代、さぼっていたつけが回ってきました」と苦笑いする。
「バッティング練習のときに脇腹を肉離れしました。やっぱりオーバーワークで飛ばしすぎたんでしょうね。平田(勝男)コーチは身体に異変があれば言ってこいよと気を遣ってもらいました。しかし、なかなか新人で痛いと言い出すことはできない。また、当時は新人はマッサージを受けることが出来なかった。身体に疲労が溜まるので、自分でマッサージ屋さんを探して通ってました」
プロ1年目の2000年シーズン、4月11日の読売ジャイアンツ戦で一軍デビューを飾った。5月24日の中日ドラゴンズ戦では初ヒットを記録している。
ドラフト1位入団選手として追いかけられるプレッシャーは、的場を精神的に追い込んでいた。
「自分が喋ったことと違うことを書かれると、傷つくんですよ。今から考えると少し鬱病みたいになっていましたね。寮に住んでいたんですけれど、みんなと顔を合わせたくないから、朝早くとか夜遅くとか、人がいないときに風呂に入ったりとか。誰とも会いたくなかった。(球場や練習場でも)まずマスコミがいるかどうか見る。そしておらへんなと思ったら、ばーっと帰る。すごい感じの悪い選手やったと思いますよ、当時」
的場寛一、ドラフト1位の肖像#3――「2005年、怪我の本当の理由。僕はこれでプロ野球人生を終えた」
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