的場寛一、ドラフト1位の肖像#3――「2005年、怪我の本当の理由。僕はこれでプロ野球人生を終えた」
1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神タイガースに入団した的場寛一は、将来を嘱望される期待の大型遊撃手だった。しかしプロ入りの野球人生は試練の連続だった。(2016年12月3日配信分、再掲載)
2020/04/13
田崎健太
03年に外野手へポジション変更
99年ドラフト会議で、逆指名1位で阪神タイガースに入った的場寛一は、プロ入りして怪我に悩まされた。
2000年と2001年に2度、左膝を手術。こうしたゆったりとした時間があったことで、入団前後のスポーツ新聞の記事による〝誤解〟を解くことが出来た。
「キャンプ中から、こいつ、思っていたんとちがうなと少しづつ相手をしてもらえるようになった。1年目のオフ、坪井(智哉)さんも一緒に手術していたので、色々とお話させてもらったり、めっちゃお世話になりました。」
的場はプロ野球の世界は「ぎらぎらしたチーターやライオンとかがいるジャングルの中で生活するようなもんです」と表現する。
監督を務めていた野村克也の観察眼に感嘆したことがある。
「1年目か2年目、甲子園での広島戦のベンチに入っていたんです。ノーアウト一塁、バッター木村拓也。木村拓也さんのサインを見る仕草を見て、野村監督は〝いつもの見方と違うぞ、1回(ボールを)外せ〟って指示出したんです。そうしたらやはりエンドランで、セカンドランナーを刺したんです。木村さんはバッターボックスに入った後、不安になってもう一度サードコーチを見た。それを野村監督は見逃さなかった。鳥肌が立ちましたね」
2002年、監督が野村から星野仙一に替わった。翌2003年、伊良部秀輝、金本知憲などが加わった。このシーズンから的場は遊撃手から外野手へとポジションを変更している。
金本の加入が阪神の野手に強い影響を与えたと的場は考えている。
「金本さんとは(恐れ多くて)直接話はできませんでしたけど、若い選手は先輩の背中を見る。無事之名馬はホンマですよ。下手くそでも丈夫やったら練習できるから、上手くなる。怪我というのは解釈の問題です。骨が折れた、ヒビが入った。医者に診せると安静にしろと言われ、試合に出られない。すると自分のポジションを獲られてしまう。でもちょっと痛いけど、(プレー)できることもある。折れていようが、少々曲がっていようが出来たらそれでええんです。痛みに鈍感な人なら多少ヒビが入ってるぐらいは気がつかないでしょ。ぼくがそう考えるようになったのはだいぶ後のことでした」
2003年シーズン、阪神は18年ぶりのセリーグ優勝を成し遂げた。翌2004年、監督が岡田彰布となった。