元インディアンス村田透、6年ぶり日本球界復帰が意味するもの――「不作」と称された世代の再挑戦
元インディアンスの右腕・村田透が6年ぶりに日本球界へと復帰する。移籍先は北海道日本ハムファイターズだ。
2016/12/09
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過酷なマイナー生活を経てつかんだメジャーデビュー
再挑戦が始まる。
元クリーブランド・インディアンスの右腕・村田透が6年ぶりに日本球界へと復帰する。入団することになった北海道日本ハムファイターズが発表した公式の談話では「今シーズン終了後、今後について思いを巡らせていた中、いち早くファイターズからお話があり、高い評価をいただいたのが入団の決意を固める要因になりました。今は非常に気持ちが高ぶり、すぐにでもファイターズのユニフォームに袖を通しプレーしたいという思いで一杯です」ととても彼らしい謙虚な言葉で綴っている。どんな状況に陥ってもあきらめず挑戦を続けてきた彼の帰還を大いに歓迎したい。
今、思い返すと、村田の挑戦はあの日から始まったといえるのかもしれない。
あの日とは、2010年10月、当時に所属していた読売ジャイアンツから戦力外通告を受けた翌日のことである。
戦力外通告を受けた選手の中には気持ちの整理がつかず、自暴自棄になるケースが多く、数日間、姿を見せないというのもしばしばあるそうだ。
当時の村田も、そんな気持ちに苛まれたが、彼はそこで挫けなかった。
かつて、あの日のことをこう語っている。
「あの年は8月からはほとんど試合で投げる機会さえもらっていなかったので、戦力外になる予感はありました。でも、親や応援してくれる人たちに活躍した姿を見せたいと思ってやっていたんで、(戦力外になったことは)すごく悔しかったですね。僕は、日頃はあんまり泣かないのですが、あの時は(兄貴に電話で)泣きました。どうでもいいやって気持ちになったんですけど、その時に思ったんですよ。これで、明日、練習に行かなければ、終わるなって。僕の野球人生終わっちゃうなって。そんな気がしたんで、グラウンドに行ったんです」
翌日の練習に行けば何かあるわけではない。
けれども、村田は自分との戦いに何とか勝つという挑戦を自分に課したのだった。
この想いが彼にとって始まりだった。
その後のトライアウトでは日本の球団からは選手としての声はかからなかったものの、インディアンスからマイナーとしての挑戦を打診される。プレイヤーとして「燃え尽きた」という感覚がなかった村田は、そこで決断したのだった。
それからの6年、過酷なマイナー生活を送った。
1Aのなかでもハイエーから始まり着実に歩みを進めたときもあったが、3Aに上がって2Aに戻るなど足踏みしたこともあった。それでも挑戦することを決めた村田が立ち止まることはなかった。マイナーは9月にシーズンが終わるが、彼は帰国もほどほどに、また飛行機に乗った。メジャーに在籍した6年間のうち、5年はその身一つでウインターリーグに乗り込んでいっていたのである。
マイナーでの生活と同様、通訳はついていない。メジャーの卵たちが、未来を夢見るように、村田もまたオフになっても、成長する機会を得ようと必死だった。昨季、DeNAの筒香嘉智がドミニカのウインターリーグに武者修行に向かったことで日本国内の認知度も多少なりとも広まったが、メジャー傘下に所属する人間からすれば、常に、自身が成長するための場に足を運ぶことは至極自然の流れだ。