巨人移籍の山口俊、プロ野球生活11年の紆余曲折。番長が「やっとわかったか」と叱りつづけてきた理由
巨人は5日、FA宣言して合意に達していた前DeNAの山口俊の入団発表会見を行った。賛否両論、たくさんの声が飛ぶが、果たして、山口は期待に応えることができるのだろうか。
2016/12/06
クローザーから先発転向、終わっていたかもしれない野球人生
山口俊がFA権を行使し、読売ジャイアンツへの入団が決定した。
さまざまな情報が駆けめぐり、古巣となった横浜DeNAベイスターズのファンからは批判的な意見が多々見られたが、シンプルに考えれば山口は、プロ野球選手として得た権利を行使したに過ぎない。
DeNAと何度か交渉を重ねかなり悩んだというが、客観的に見るかぎり最終的には自分を一番高く評価してくれた球団に行くことを決めたように思える。本人も「野球人として、山口俊としての評価を最優先に取らせていただいた。悔いはないので、しっかり前を向いてがんばりたい」と、コメントを残している。
いろいろと憶測の範囲を出ない見切り発車の情報が錯綜したが、真相はいずれ山口の口から語られることになるだろう。
ベイスターズに在籍した11年間は紆余曲折の野球道であった。
2005年の高校生ドラフトにおいて1巡目で指名され入団すると、2006年には先発として初勝利。2009年にクローザーへ転向し、2012年には史上最年少で100セーブを記録した。
だが2013年になると救援失敗を繰り返すようになり、ファンから厳しいブーイングを浴びることになる。そして2014年になるとセットアッパーでも結果を出すことができず、背水の陣で入団当初以来の先発への転向を余儀なくされた。
決して望まれての先発転向ではなかった。当時の監督だった中畑清氏によれば、後ろを任せるわけにはいかないゆえ、やむを得ない配置転換だったという。有名な話ではあるが結果が出ず厳しいブーイングを食らい続けていたこの時期、山口は円形脱毛症を作るほど追い込まれていた。