ユーキリス、ペニー、ハワード…日本プロ野球史で額面通りに働けなかった大物助っ人外国人
アンドリュー・ジョーンズを筆頭に近年増えている大物助っ人選手。しかしメジャーリーグでの輝かしい実績とは対照的に芳しくない成績を残して日本を去ってしまうことも多い。いくつかの事例を紹介したい。
2015/01/09
本職ではないポジションで入団した、元サイヤング賞投手
OBに目を向けると「神のお告げ」グリーンウェル(元阪神)や「2億7000万円の大型扇風機」ディアー(元阪神)、メジャー時代にすらなかった2軍落ちを初めて味わったインカビリア(元ロッテ)ら期待外れ組は数多い。
ここではあえて3人の選手の名前を上げたい。
1人目はフランク・ハワード(元太平洋)。元2冠王、ジョーンズ以前では来日助っ人最多の382本塁打を誇る超大物の来日にマスコミやファンは大盛り上がり…だったのだが、長年戦い抜いてきたハワードの体はもう限界だった。
膝の故障は深刻で結局開幕戦に出場しただけで5月には帰国。ハワイ旅行が懸かった「ハワード・ホームランクイズ」の答えはまさかの0本に終わった。漫画『侍ジャイアンツ』で番場蛮を打ち砕いたのが唯一のハイライトだろうか。
MLB:161試合 打率.283(566-160) 44本 126打点【本塁打王,打点王】(1970年)
NPB:1試合 打率.000(2-0) 0本 0打点 (1974年)
続いて元広島のゾイロ・ベルサイエスだ。65年にツインズ優勝の立役者となりMVPも日本では怪我に苦しみ成績は残せず。実はカープが日系人以外の外国人選手を獲得したのはこのベルサイエスが初。とにかくお金のないイメージが強い当時のカープが初めて獲得したのが大物助っ人というのは興味深い。
MLB:160試合 打率.273(666-182) 19本 77打点 27盗塁【MVP】(1965年)
NPB:48試合 打率.189(132-25) 4本 10打点 0盗塁 (1972年)
最後はニューク(元中日)だ。シーズン途中入団の外野手で打率.262、14本塁打。数字だけを見ると当たりともハズレとも言いがたいが、なんとメジャーではドン・ニューカムという名で投げていた元サイヤング賞投手だ。それも20勝以上3度と一時代を築いたエースで、メジャー史上初の黒人投手でもあり通算149勝は来日外国人投手最多である。
そのニュークを中日は、引退後の名投手に大金を積んで外野手として獲得した。打撃が得意だったとはいえ本職ではない外野でそこそこの成績を残したニューク。どちらもまだ日本とアメリカのレベルに大きな差があった時代だからこその話だろう。
MLB:38試合 27勝7敗 奪三振139 防御率3.06【MVP】(1956年)
NPB:81試合 打率.262(279-73) 12本 43打点 (1962年)