「143試合中128試合で準備」巨人のブルペンを支えた田原誠次【2016年ブレイク選手】
決して派手なキャリアではないが、今年の巨人のリリーフ陣を支えたのは田原だ。
2016/12/23
今や巨人に必要な選手
南国宮崎で生まれ、聖心ウルスラ学園高ではストライクが入らず2年時にサイドスローへ転向。卒業後は三菱自動車倉敷オーシャンズに4年間所属した苦労人。
当時、早朝6時半から午後3時半まで岡山営業所でしっかり働き、総務部でイスを作ったり発注する日々。つまり同級生がプロや大学球界で活躍していた頃、この男は必死にイスを作っていたわけだ。
そして、11年10月の都市対抗野球で田原が投げる試合に偶然遭遇したという巨人スカウトが、たった1度実戦を見ただけでドラフト7位指名。
そんな非エリート投手が、2016年の巨人ブルペンの救世主となった。
昨秋から今春にかけての賭博問題で高木京介、笠原将生、福田聡志といった1軍実績のある中継ぎ投手が一気にチームを去る緊急事態。長年ブルペンを支えてきた山口鉄也や西村健太朗にも勤続疲労の影が忍び寄る。
結果的にクローザー澤村と剛腕セットアッパー・マシソンへの負担が日に日に増していくチーム事情。
それらをカバーするために、ほとんど無謀とも思える連投に耐えたのが背番号37の田原だった。
今季の田原はまるで往年のサイドスロー鹿取義隆を彷彿とさせる投げっぷりである。
87年の鹿取は王巨人のクローザーとしてリーグ最多の63試合に登板。「鹿取大明神」と称される大活躍を見せた一方で、王監督のワンパターン継投は批難を浴び、酷使されるという意味の「鹿取(かと)られる」という造語も使われるほどだった。
まさに由伸監督から「田原(たはら)れる」状態の獅子奮迅の活躍。
先月の契約更改では、2700万円増の推定4500万円でサイン。
球団から「全143試合中128試合で肩を作り準備した」ことが評価されたという。
このニュースを聞いた時、凄い仕事だなと思った。
つまり、「毎日のようにブルペン投球をして、実際の登板数は128試合中64試合。その準備の半数は無駄になってしまう仕事」というわけだ。
確かに先発や抑えと比べて、泥臭く目立たないポジションかもしれない。
だが、長いペナントレース、こういう投手がいないとブルペンは回らない。
どんなに巨大補強をしても、土台で支える人間がいなければチームは崩壊してしまうだろう。
田原誠次、27歳。5年前にドラフト7位でひっそりと入団したその男は、確かに巨人に必要な選手になった。