中後悠平、アメリカでつかんだ転機「メソメソして、びびっても仕方ない。野球を楽しむ原点に帰った」
2015年シーズンオフに千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けた中後悠平。昨シーズンはアメリカにわたり、アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下のマイナーに所属。シーズンを通じて安定した成績を残し、今季はメジャー昇格も期待される。中後に昨シーズンを振り返ってもらいつつ、今季の抱負を聞いた。今回はその前編だ。
2017/01/11
永田遼太郎
結果を残せない焦りが力みに
――この前も他所のインタビューで、精神面で大きく変わったと話していましたよね。
そうです。これは何回も言っている話ですけど、せっかく単身でアメリカまで乗り込んで野球をしているんだから、マウンドに立って投げることに恐怖心を持ったり、嫌気がさしたりするのがアホくさく思えたんですよ。もちろん給料が少ないというのもありますけど、ここでアカンかったら日本に帰らなきゃアカン。アカンかったら自分の野球も終わりっていうのもありましたからね。ましてや僕は日本人で、シーズン途中から入って来て、ここでメソメソして、びびって投げていてもそりゃあ楽しくないし、それでは日本でやっていたことと何ら変わりないんですよ。
日本でやっていたときはお金をもらって仕事として野球をやっていたわけだから、いつ首を切られるか分からないという焦りの中でやっていた。結果残されへん、その焦りが力みに変わって、力みがマウンドでうまくいかへんと悪循環になって、マウンドに上がりたくなくなる。そうなるとどっかしら体が言うことを聞かなくなるんですよ。
――千葉ロッテマリーンズにいた2年目、3年目はまさにそんな感じでしたよね。
僕はよく強気なピッチングとか周りに言われていたんですけど、それが一つの失敗で、そこからダダダダンと階段を落ちていくような経験もしたんでね。アメリカでも行って、すぐに同じような経験をしたんですよ。1Aで躓いたときに、ヤバくなったときがあったんですけど、そこで自分が変わらないとここに来た意味がないと言い聞かせて、そこでスポーツは楽しむもんだと気付かされてね……。プロでお金をもらうようになって、将来的なこととか、自分には野球しかあらへんとか考えてしまうと、怖くなるかもしれないけど、元々のスポーツの意味ってみんなで楽しむためのものじゃないですか。
僕も野球を始めたきっかけは周りの友達がやっていたとか、うちのオトンが少年野球のコーチをしていて、子どもの一人が野球をやるってなって、それを見た自分が『野球楽しそうだな』ってなったから始めたわけでね。きっと誰だってそうなんですよ。小さいときから嫌々と思いながら、25歳とか26歳まで10何年間も野球をやっているわけないんですよ。みんなと野球をやりたいから、楽しみたいからというのが大前提としてあると思う。だから僕はアメリカに行ってまで野球をして、同じことをしたらアカンって考えて、野球を楽しむという原点に帰ったんです。