メジャー昇格期待の中後悠平、2017年もゼロからのスタート。「挑戦者として、キャンプで結果を残す」
2015年シーズンオフに千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けた中後悠平。昨シーズンはアメリカにわたり、アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下のマイナーに所属。シーズンを通じて安定した成績を残し、今季はメジャー昇格も期待される。中後に昨シーズンを振り返ってもらいつつ、今季の抱負を聞いた。今回はその後編だ。
2017/01/12
永田遼太郎
BCリーグではなく、渡米を選択
――サブロー(大村三郎)さんの引退試合のときに、約1年ぶりにQVCマリンフィールド(現在のZOZOマリンスタジアム)に足を運びました。そこで懐かしい顔にも顔を合わせたと思うのですが、どんなお気持ちでしたか?
サブローさんの引退試合は、僕がちょうどアメリカから帰ってきたときだったんですね。自分がプロ2年目に入るときの自主トレでサブローさんに誘ってもらって、一緒に練習させてもらったり、ご飯にも連れて行ってもらったりして、本当によくしてくれた先輩でした。だから「これは行かないとな」となって。
でも、球場では最初、ロッカーに行きづらかったんですよ。なんだかんだ、もうチームを辞めている選手じゃないですか。でも、チーム関係者の方によくしてもらって、結局ロッカーにも行かせてもらって、話もして、凄く懐かしかったし、素直に嬉しかったのもありますね。自分はロッテに4年間いましたけど、あんなに満員になっている球場を見たことなかったので、感動しました。
――その後、埼玉県内で場所を借りて練習をしていました。今のお住まいと練習所まで距離がある関係で、一時期は元ロッテの吉原正平さんの部屋に宿泊していたと聞いていますが、その間、どれくらいのペースで自宅に帰っていたのですか?
3日間くらい泊まって練習してから一度帰って、また来るみたいなペースを1カ月くらい続けましたね。ただ、吉原も次の就職活動や予定があるので、ホテルに泊まるときもありましたよ。
――ホテル代は全部自腹でしょうから結構大変ですね。
駐車場代なんか合わせたら1泊で1万7~8千円かかりますからね。でも、ヨシ(吉原)のおかげでホテルに泊まったのは3日間くらいで済みました。
――昨年の渡米前の話を少しお聞きします。戦力外通告を受けて、プロ野球合同トライアウトを受けました。でもオファーはどこからも来なかった。そのときに一度は一般の就職先とかも考えたりもしたんですか?
1年間だけ(BCリーグの)武蔵ヒートベアーズでお世話になろうかなと思っていました。それも他に就職先がなかったというのもありますけど、あと野球に対する未練ですよね。だから1年間だけやらせてくれと……。それでプロ野球に戻れへんかったら辞めるって決めていたんです。そういう決断までして嫁さんにも約束して、武蔵に行こうと決めていたら、突然、アメリカの話が出てきたので、最初は武蔵にも迷惑がかかると思ったし、そういうことも含めて色々と考えましたよね。そこまでして野球がしたいのかって……。
――たくさんの人に迷惑はかけたくないと……。
正直、1年間でまた(NPBに)戻るのは難しい話じゃないですか。でも、野球に未練があるうちは一般の仕事にも就けない。そんな気持ちじゃ長続きもしない。だから武蔵でお世話になっている1年間で次の仕事、将来のことも色々と考えていこうと……。そう考えている矢先だったので、いきなりアメリカへ行かないかと聞かれて、「はい、行きます」とはならなかったですよ。