元巨人・クロマティへ抱いた選手の不信感――「グラウンドに出ると人が変わる。野球を知らない監督」【『サムライ・ベアーズ』の戦い#2】
皆さんは、かつて巨人で活躍したクロマティ氏が、アメリカの独立リーグで日本人だけのチームの指揮官として戦っていたことをご存じだろうか。そのチームは『ジャパン・サムライ・ベアーズ』と名づけられた。
2017/01/19
阿佐智
スターに切れられ、萎縮する選手たち
そもそも長坂自身、クロマティ率いるサムライ・ベアーズに加入する意思もなかった。彼は当時、独立リーグ最強と言われていたノーザンリーグでプレーしていた。1993年に発足したこのリーグは、当時人気実力とも独立リーグトップクラスで、メジャーで一時代を築いたダリル・ストロベリー(元メッツなど)やこのリーグを踏み台にのちメジャーでスターダムにのし上がるレイ・オルドニェス(元メッツなど)らのメジャーリーガーもここでプレーしている。3Aにも匹敵すると言わたこのリーグのマウンドに立っていた長坂の眼中にはメジャーリーグしかなかった。
「新しいリーグができるっていうのは聞いてましたよ。クロマティが監督やるってのもね。なんか、日本人だけで他の独立(リーグ)でやってんなーぐらいでしたね」
そこに突如として突き付けられたトレード通告。チームに合流した時点で、長坂にとってなにもかもが気に入らない状態だった。
「それもあって、僕は最初からクロマティに対しても批判的でしたね。僕が初めてユマに着いて、2、3日経って先発したんですよ。やっぱりそこでもエラーが出るんですよね。フライを落としたりとか、ゴロを捕れなかったりとか。それで、点も取られるんですよ。僕は、そういうことに対しては仕方がないと思ってるんで。いくらヘタクソだろうがなんだろうが、野球にエラーはつきものだから。だから、別にそこに対しては怒ってなくて、それを分かっていながらバットに当てられた自分に腹が立つんですよね。それで、ベンチ戻ってきたときにバーンってグラブ叩きつけたんです。そしたらクロマティがバーッてやってきて、『ゴメンナサイ、彼らはクソだから、怒らないで投げてね』って。今度は、それに腹が立って、ウルセエって言ったんですよ。そのあと、PL(学園)でやっていた投手コーチの佐藤さん、あの人は、結構選手寄りだったと思うんですけど、その人が、『長坂、悪かったな』って言ってくれて、僕も『いやいや、コーチがそんなこと言っちゃだめですよ』っていう感じで……」
意外にも、クロマティは長坂には強圧的な態度をとることはなかった。それはおそらく、彼の目線から見た「プロレベル」の選手に対しては彼なりのリスペクトをもって臨んでいたのかもしれない。
長坂は続ける。
「それまでの数試合で、クロマティが選手を恫喝している場面を何回も見てきてましたから。だから選手たちは委縮しているわけですよ。自分が子どもの頃にスターだった選手と一緒にやったのに、そのスターから、もう帰れ、なんて言われてね。僕なんかは、帰れって言われればラッキーって感じでしたけど。入りたくて入ったわけじゃないから、どうぞクビにしてくれ、自由にしてくれっていうスタンスだったから、おめえに従うつもりねえよって(笑)」
結局、造反行為をした長坂に対して、選手から「王様」とさえ揶揄されたクロマティはなすすべなくこれを不問にした。
「どうしてだか、わかんないですけどね。びっくりしたんだと思います。今までそんなやつはいなかったでしょうから。『なんで、こいつこんなに言いかえすんだ』って。いきなり入って来た奴がそんな感じでしたから。他の選手は、結局、表ではみんなイエスマンでしたから。裏ではいろいろ言ってたみたいですけど。『いいよ、あんなのシカトしようぜ』とか。面と向かってバーンっていうのは見なかったですね。でも、僕は結構仲良かったですよ。フィールドの外では普通に話してましたよ。でも、フィールドに入れば、この人なんなんだろうって、ずっと思ってましたね」
当時長坂は、3シーズン目のアメリカでのプロ生活を送っていた。そんな彼の目からも、かつてスター選手だったクロマティは、指揮官にはふさわしいと映ることはなかった。
今一度、彼の日本での雄姿を思い返してみた。おそらく彼は、引退後指導者になるつもりなどなかったのだろう。成功したメジャーリーガーの多くがそうするように、自分の腕一本で稼ぎ出した財産とたっぷりの年金で悠々自適の暮らしをするつもりだったのだろう。
あの日本シリーズでの緩慢な送球が頭の中でよみがえってきた。