クロマティが語り出す「プロ以下のボーイ」との日々。”キャリアの汚点”は美しい記憶へと変貌【『サムライ・ベアーズ』の戦い#4】
皆さんは、かつて巨人で活躍したクロマティが、アメリカの独立リーグで日本人だけのチームの指揮官として戦っていたことをご存じだろうか。そのチームは『ジャパン・サムライ・ベアーズ』と名づけられた。
2017/01/28
阿佐智
「トラベリングチーム」をつくる
フロリダ州フォートローダデール。「アメリカのベニス」とも称されるセレブ御用達の別荘地、30マイル南方のマイアミから延びる鉄道駅に隣接したホテルのロビーに、ウォーレン・クロマティは現れた。約束の時間からすでに2時間が経っていた。
今はなきモントリオール・エクスポズのスター、かつ、名門読売ジャイアンツ史上最高の助っ人だった面影は今も健在だった。現役引退と同時にスモウレスラーのような姿になってしまう者が多いアメリカ人選手にあって、彼は現役時代そのままの体型をいまだ保っていた。ただ、30年前と比べ幾分、上半身は痩せ、髪には白いものが混じっていた。
この町の住人には似つかわしくないヨレヨレのTシャツ姿で私と握手したクロマティは、ロビー横のオープンカフェのソファに腰を下ろすと瓶ビールを注文した。このホテルにはよく来るのか、ウェイトレスとも気さくに話している。冷えたビールを一口ラッパ飲みすると、私に顔を向け、ジャパン・サムライ・ベアーズの出会いの時を振り返り始めた。
2005年。すでに引退から14年が経っていた。腕一本で築いた財産と手厚い年金で悠々自適の生活のはずだったが、フィールドの芝の匂いが恋しくなってきたのだろう。海のものと山のものともつかない独立リーグからの突然の電話にクロマティは耳を傾けた。
「彼らはちょうど新しいリーグを立ち上げようとしていたところで、トラベリングチームをひとつつくるということだったんだ。はじめはメキシコにチームをつくろうとしていたのだが、頓挫して、じゃあ、日本人のチームを、ということになったらしい。それで、日本人の間で有名な奴は誰なんだとなり、私に白羽の矢が立ったんだ。最初話を聞いた時には驚いたよ。なぜ俺に、ということではなく、日本人をアメリカに呼び寄せてチームを作ると言うのが初めての試みだったからね」
日本野球を知り尽くしているクロマティに、それが無謀な試みだと感じられたのも無理はない。ファームチームをもつプロ球団が12、その下には、大学や高校からエリート選手を集めたアマチュア世界トップレベルのインダストリアル・リーグ(社会人野球)がある。社会人チームを保有するのは、ジャパンマネーの源泉である日本の一流企業だ。クロマティがプレーしていた時代には、その方が一生安泰だと、ドラフト指名を蹴って、硬式野球部のない一流企業に就職した名門大学の選手もいた。
そんな国から、有望株がハンバーガーリーグと呼ばれるアメリカのマイナーリーグ、それもできたばかりの独立リーグなどに来るとはとても思えなかった。
それでもクロマティはふたつ返事でオファーを受けた。「野球の虫」が騒いだのだろう。
クロマティは、日本で行われた選手集めのトライアウトにも顔を出したという。
「なかなかのレベルではあったよ。アマチュアレベルではという条件付きでね。実際は無名の選手がほとんどだったね。もちろんプロのレベルには達してはなかった。それに体も小さかった」