クロマティが語り出す「プロ以下のボーイ」との日々。”キャリアの汚点”は美しい記憶へと変貌【『サムライ・ベアーズ』の戦い#4】
皆さんは、かつて巨人で活躍したクロマティが、アメリカの独立リーグで日本人だけのチームの指揮官として戦っていたことをご存じだろうか。そのチームは『ジャパン・サムライ・ベアーズ』と名づけられた。
2017/01/28
阿佐智
レベルは教育リーグ並み
シーズン当初のメンバーで、独立リーグとは言え、プロとして通用したのは、兼任コーチで主砲の根鈴雄次くらいだったという。彼は、大学卒業後、2000年に渡米、かつてクロマティが在籍していたモントリオール・エクスポズと契約し、メジャーまであと一歩の3Aまで上りつめている。メンバーの中には他にプロ経験のある者もいたが、世界の最高峰でプレーしたクロマティの目には、3A以下を「プロ」と呼ぶにはためらいがあった。
「ユージはいいバッターだったよ。俺好みの選手だったな。彼はメジャーに挑戦すべき選手だった。実際、あと一歩だったんだ」
その他の「プロ以下」のメンバーについては、否定的な言葉が口をついてくるのかと思ったが、意外にも彼は悪態をつくことはしなかった。
「残りの選手は確かにローレベルだったよ。そりゃそうだろう。ドラフトにもかからなかった選手の集まりなんだから。本当のところ、トライアウトでも、これはっていう選手はほとんどいなかった。そういう中からなんとか選手を絞ってアメリカに乗り込んだんだ。なにしろ、マイナーとは言え、アメリカのプロリーグで1シーズンを過ごすんだ。相手には2Aや3A、なかにはメジャーでプレーした者もいたんだから。それに一番大変なのは、長い遠征だ。ユマ、チコ、ロングビーチ、アリゾナ…。だから私は、彼らにプロの何たるやを基礎から教えなければならなかった。彼らに自信を植え付けようとした。それに野球センス、考え方…。しかし、彼らはセンスを日本では十分に学んでいなかったんだ。日本ではみんなワンパターンしか教えないからね」
日本で聞いた元選手たちのクロマティ評は散々なものだった。彼らからは、選手と指揮官の関係の悪さしか伝わってこなかった。だから、元指揮官であるクロマティの口から、当時のメンバーたちに対する肯定的なコメントなど出てくるはずはないと思っていた。ひょっとすると、サムライ・ベアーズの話題を振ろうものなら、こっちが罵詈雑言を浴びせられるのではないかとさえ思っていた。
しかし、クロマティのサムライたちに対するまなざしは厳しくはあるが、優しいものだった。10年のひと昔とは言うが、年月は、自身のキャリアの汚点にもなりかねない1シーズンに終わった指導者経験を美しいものに変えてしまったようだった。
「確かに、キャンプをして、なんとか開幕を迎えたんだが、彼らのレベルが急激に上がることはなかったね。実際、彼らはルーキークラスにも満たなかった。秋に行われるアマチュア選手のセレクションのための教育リーグ並みだったよ。そりゃ、指揮するのも苦労したし、ティーチングも難しかったよ。
最初、日本から来たボーイたちの何人かは、シリアスになりすぎていた。何をどうしていいか分かっていなかった。でも、彼らの存在はあのリーグにとってビッグ・インパクトだったんだ。メジャーリーグのスカウトも注目していた。選手にとっては最後のチャンス。それをわかってなかったやつもいたけどね。だから言ったんだ。『ノー・バケーション。レッツ・ゴー』ってね」