前田幸長、ドラフト1位の肖像#2――運にも恵まれた高校3年の夏「高校野球らしからぬ気楽な雰囲気」
1988年ドラフト1位で当時のロッテオリオンズに入団した前田幸長。その後、千葉ロッテマリーンズ、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツを経て、最後にはアメリカへ渡り3Aでもプレーをした。プロ野球の中では細身ながらも、独特のカーブとナックルボールを決め球に存在感を発揮した。(2017年2月16日配信分、再掲載)
2020/04/16
田崎健太
初めて出場したセンバツで惜敗
前田幸長が初めて甲子園に出場したのは、高校3年生春のことだった。
「小学生のとき、(早稲田実業の)荒木大輔さんぐらいのときから、甲子園は見てました。でも甲子園はあくまでもすごい人が行くものでした。もちろん行きたいけど、福岡第一は10年以上出場していない。県内では強かったけど、たぶん行けないと思い込んでいたんです。でも、あれよ、あれよと(選抜大会の選考材料となる、秋季大会で)勝っていった」
88年3月、試合前の練習で初めて甲子園球場に入った前田は、鳥肌が立ったという。
「甲子園というのは高校野球と巨人対阪神戦でしか見たことがない。生で見るのは初めて。ましてや自分が出るなんて」
初戦の相手は、高知商業だった。
「最初の打者のときは、地に足が着いていない感じ。ふわっと浮いた感じでした。ストライクが入らない、入らないって。際どいところをストライク取ってくれなかった。ストレートのフォアボールです。一つアウトを取ってから落ち着きましたね」
高知商業の右腕投手、岡幸俊との投げ合いで、試合は延長戦に入る(後に岡はドラフト2位でヤクルトスワローズに入団することになる)。
翌日の毎日新聞は〈名勝負 涙あり〉〈スタンドはうなった〉という見出しでこう報じている。
〈今大会ナンバーワン左腕の前田を中心に高知商を最後まで苦しめた。高知商・岡投手との投げ合いは初の延長戦へ。その前田が力尽きたのは12回だった。岡林に2本目の安打を許し、迎える打者は先制、勝ち越しと一人で2安打を挙げている7番・山本。
「こんなに曲がるカーブはバットに当たらない」とストレートにマトを絞っていた山本は狙い球を力いっぱい振った。打球は左中間を深々と破り一塁走者の岡林を迎え入れ、山本は一挙に3塁ベースを陥れていた〉
延長12回、2対3での惜敗。福岡第一には、前田という好投手に加え、山之内健一という大型内野手もいた。足りなかったのは、甲子園での経験だった。夏の甲子園では、さらなる飛躍が期待できるチームだと誰もが見ていた。