前田幸長、ドラフト1位の肖像#2――運にも恵まれた高校3年の夏「高校野球らしからぬ気楽な雰囲気」
1988年ドラフト1位で当時のロッテオリオンズに入団した前田幸長。その後、千葉ロッテマリーンズ、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツを経て、最後にはアメリカへ渡り3Aでもプレーをした。プロ野球の中では細身ながらも、独特のカーブとナックルボールを決め球に存在感を発揮した。(2017年2月16日配信分、再掲載)
2020/04/16
田崎健太
対外試合禁止処分にも動揺せず
しかし――。
選抜大会直後、福岡第一は部員の暴力事件が発覚、3カ月間の対外試合禁止処分を受けることになった。
前田は当時をこう振り返る。
「1カ月間はグラウンドを使った練習が一切駄目。外で少し走ったり、キャッチボール。多少キャッチャーとピッチングするぐらいの練習しかできませんでした。最初は夏の予選にも出られないという話だったので、〝春、出ておいてよかったな〟なんて言い合ってました」
高校生最後の甲子園の出場機会が失われるかもしれないというのに、軽口を叩いていたのは前田らしい。
この対外試合禁止処分は、福岡大会開幕前日の7月8日に解除されることになる。
「夏(の県予選に)出られます、抽選行きますということになりました。ぼくらのときは柳川(高校)が強かった。その辺りの学校には負けないだろう、柳川といつ当たるかという感じでした。組み合わせを見ると、柳川とは決勝で当たることになっていた」
とはいえ、3カ月の謹慎期間は前田の躯を鈍らせていた。その間、ちゃらちゃらしていましたからね、と前田は笑った。
「(福岡県大会)初戦、プロのスカウトが来ると聞いていたので最初から飛ばしたんです。144キロぐらい出たみたいです。でも、3イニングでへばった。コールド勝ちだったので、ヒットは1本ぐらいしか打たれなかったんですけれど、スタミナに問題があってコントロールにばらつきが出ましたね」
スカウトの前で、無様な姿を見せてしまった、自分の評価が下がったと後悔しながら、前田は翌日の新聞を開いた。すると、スカウトは3回までの投球を見て満足して帰ったと書かれていた。自分には、つきがあると胸をなで下ろした。
前田は試合に投げ続けることで、持久力を取り戻していった。幸運だったのは、警戒していた柳川が準決勝で敗れたことだ。そして福岡第一は福岡県代表として夏の甲子園に出場することになった。