山中、鵜久森らが奮闘。ヤクルト浮上のカギ握る「パ・リーグ育ち」の男たち
4月12日の中日ドラゴンズ戦に敗れ、これで6連敗の東京ヤクルトスワローズ。そんな中で気を吐いたのは、先発の山中浩史投手であり、今季初スタメンの鵜久森淳志外野手であった。彼ら2人の共通点──それは共に「パ・リーグ育ち」ということだ。
2017/04/13
トレードで“大化け”の山中。鵜久森は戦力外からの飛躍
またも白星は遠かった。4月12日の中日ドラゴンズ戦(神宮)を延長10回の末に2対5で落とし、6連敗となった東京ヤクルトスワローズ。それでも、この試合では先発の山中浩史が7回2失点と力投。6番・右翼で今季初スタメンの鵜久森淳志は5回にチーム初ヒットを打つと、7回には同点の足かがりとなる二塁打を放った。
山中と鵜久森──。2人はいずれもパ・リーグ球団の出身である。山中は2014年7月に川島慶三、日高亮とのトレードで、新垣渚と共に福岡ソフトバンクホークスから移籍。当時の山中はホンダ熊本からドラフト6位で入団して2年目で、1軍では未勝利。この年もウエスタンリーグでは3勝していたものの、1軍では1試合の救援登板にとどまっていた。
これに対し、新垣は30代も半ばに差しかかろうとしてはいたものの、2ケタ勝利3回、最多奪三振1回、プロ通算60勝と実績は十分。のちに「僕は渚さんのバーター的な感じだった」と自嘲気味に振り返ったことのある山中だが、当時はそう見る向きも少なくなかった。
ところが新天地で“大化け”したのは山中のほうだった。翌15年、6月12日の埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンス)で、同じアンダースローの牧田和久との投げ合いを制してプロ初勝利。そこから無傷の6連勝でリーグ優勝に大きく貢献し、昨季も先発ローテーションの一角を担って6勝を挙げた。
一方、愛媛・済美高の四番として04年甲子園春優勝、夏準優勝の鵜久森は、ドラフト8巡目で05年に北海道日本ハムファイターズに入団したものの、「未完の大器」のまま15年限りで戦力外に。トライアウトを経て、昨年からヤクルトの一員となった。
すると16年シーズン開幕から間もない3月30日の阪神タイガース戦(神宮)で、チームの連敗を4で止める決勝アーチ。その後は1軍と2軍を行き来したものの、主力に故障者が相次いだ8月には、坂口智隆(15年にオリックスバファローズを自由契約となり、ヤクルトに移籍)の命名による「下町スワローズ」の一員として奮闘。チーム2位の月間14打点を挙げるなど、勝負強さを発揮した。今年は4月2日の横浜DeNAベイスターズ戦(神宮)で、球団史上35年ぶりの代打サヨナラ満塁本塁打を放ったのは、まだ記憶に新しいところだ。