“巨人の次期エース”と騒がれ7年。神輿から降ろされた宮國の再起をかけた934日ぶり先発【死亡遊戯コラム】
読売ジャイアンツの宮國椋丞投手が27日、14年10月以来934日ぶりに先発のマウンドに上がった。先発復帰戦白星とはならなかったものの6回1失点と好投し、先発として再スタートした。
2017/04/29
原監督からは「ゴーヤ」宣言
「凄い若手投手がいると聞いて、わざわざブルペンまで見に行きましたからね」
数年前まで現役選手だった、ある巨人OB野手はそう言って笑った。
入団当初の宮國椋丞という投手は同じプロの目から見ても、それだけ突出した選手だったのである。
菅野智之やマイルズ・マイコラスのチーム加入前、誰もが将来の「巨人のエース」を期待した男。
沖縄糸満高校から11年ドラフト2位で入団すると、いきなり怪物・江川卓の30番を託され、2年目の開幕直後に甲子園の阪神タイガース戦で初先発すると7回1失点の好投で、巨人では槙原寛己以来29年振りの10代初登板初勝利を飾った。
さらにその数週間後の公式戦本拠地デビューとなる広島東洋カープ戦では、なんとプロ初完投初完封。さらに初ヒット初打点も記録。巨人で高卒2年目の完封勝利は87年の桑田真澄以来の快挙だった。
この2年目は6勝を挙げ、防御率1.86という好成績。3年目の13年にはこれもチームでは88年の桑田以来となる20歳の若さで開幕投手に抜擢。
まさに槙原や桑田といった歴代エース級の投手との比較が大げさに思えないほど、当時の宮國はキラキラと輝いていた。
しかもモデル体型の正統派イケメン。ジャイアンツ球場には多くの女性ファンが押し掛け、男性ファンは将来のエース出現と盛り上がった。
菅野入団前のあの頃、マスコミも巨人ファンもみんな生え抜き若手投手に飢えていたのである。チームで高卒投手が数シーズンに渡りローテに定着したのは斎藤・桑田・槙原の伝説の三本柱が最後。ついにFA補強でも助っ人投手でもない「正統派エース」が出現してくれたぞと。
だが、その周囲の過剰な期待に宮國はやがて押しつぶされる。細身の肉体が躍動するしなやかな投球フォームは消え失せ、14年にはわずか3試合の登板で防御率6.43にまで悪化。岡崎郁元2軍監督からはスポーツ新聞上で「宮國は過大評価だった」と派手に檄を飛ばされ、当時の原辰徳監督もマスコミを通して「これからは過保護な高級マンゴーではなく、野生のゴーヤのように荒々しく育てていく」となんだかよく分からないゴーヤ宣言。
気の早いファンからは「ミヤグニは終わった」なんて声も聞かれたほどだ。