大越基、ドラフト1位の肖像#2――困惑のドラ1指名。「プロ野球選手だったという感覚は全くない」
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。(2017年6月3日配信分、再掲載)
2020/05/03
田崎健太
早稲田を中途退学した理由
「入学式にも行きませんでした。早稲田の野球部って、春のシーズンが終わらないと野球部の寮に入れなかったんです。それで上石神井にアパートを借りて一人暮らしを始めました。まあ、練習はほとんど行かなかったですね。風邪引いたとか嘘ついて。完全に甲子園の燃えつき症候群ですよね。甲子園で準優勝して、何を目標にしていいのか分からなくなった。マスコミの人から次の目標を訊ねられて、オリンピックの日本代表として投げたいとか答えてましたけど、本当は全くそんなことは考えていない。目標がないまま日が過ぎていった」
それでも大学野球の中で大越の力はぬきんでていた。
「シートバッティングやオープン戦でバットを何本もへし折りました。(高校野球で使用する金属バットと違い)木のバットなんで折れちゃうんです。インコースに投げたらみんな打てないです。(上宮高校の)元木対策でインコースは相当磨いてましたから。練習しなくとも、投げたらそこそこ試合は作れるし勝ててしまう。やっていても面白くない」
そのうち大越は野球部を退部しようと考えるようになっていた。
「OBの方から〝早慶戦で投げてみろ。あれを経験したら続けたくなる。それまでは辞めるな〟と言われていました。丁度、春のリーグ戦の最後が早慶戦でした。そこで勝ったほうが優勝。どんぴしゃだったんです。優勝したらもう辞めてもいいよねって」
第1試合は4年生の市島徹が先発し勝利。第2試合は大越が登板したが敗れ、優勝は第3試合に持ち越されることになった。7回、先発の市島がつかまり、一死満塁の場面で大越がリリーフとしてマウンドに上がった。
「優勝懸かった試合でなんで市島から1年生に代えるんだって、みんな怒っているんです。市島さんは優しくて、泣きながら〝頼む、俺は無理だ〟と言われました。それには意気に感じました。まあ、ええわとにこにこしながら、ぱーんと投げたらサードゴロでホームゲッツー。マウンドの上でガッツポーズです」
この1球で試合の流れを早稲田が引き寄せることになった。早稲田はこの試合に勝ち、15季ぶりの優勝を成し遂げた。
「試合が終わった瞬間、ぼくはグローブを上に投げた。ぼくは野球道具は大事にするようにと教わってきました。グローブを投げたのはこれで辞めるという合図だったんです」
リーグ戦の覇者が出場する全日本大学野球選手権終了後、大越は練習に行かなくなった。