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大越基、ドラフト1位の肖像#2――困惑のドラ1指名。「プロ野球選手だったという感覚は全くない」

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。(2017年6月3日配信分、再掲載)

2020/05/03

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田崎健太



投手としての欠陥

 カリフォルニアリーグのシーズンは短く、7月末には終わってしまう。大越に運があったのは、スパーズが日本のプロ野球球団、ダイエーホークスとヤクルトスワローズから選手、指導者を受け入れていたことだ。
 ダイエーから来ていたハイディ古賀が大越にこう声を掛けた。
 
「お前、日本に帰っても暇やろ」
 ボルチモア・オリオールズの教育リーグに参加してみないかと言うのだ。
 
「フロリダのチームに入れられました。日本人は一人だけです。モーテルに外国人と一緒に住みながら、球場に行ってました。本当に楽しかった。フロリダは暖かく、投げていたら調子が良くなった。それで色んな教育リーグを視察しているメジャーリーグのスカウトからマイナー契約しないかと誘われた。でもぼくは英語が分からないし、契約書も読めない。だからサインはしませんでした」
 
 しばらくしてフロリダに迎えに来たハイディは大越に対する高評価に驚いたという。そして、この情報を球団に伝えた――。
 
 大越はこの年、92年のドラフト会議でダイエーホークスから1位指名された。
 
「指名されるという話は聞いてました。ただ下位指名だと。1位指名だと分かったとき、まずいことになったと慌てました。アメリカに行ったのはドラフトに掛かるためではなかった。そして躯はまだ高校の時のレベルにも戻っていなかったですから」
 
 大越には投手として致命的な欠陥があった。

「ぼくは指先が不器用で、変化球がなかなか覚えられない。変化球だけではなく、ストライクゾーンの〝出し入れ〟ができない。日本のプロ野球はアメリカと比べてストライクゾーンが狭い。アウトコースぎりぎりの真っ直ぐ、あるいはインコースの際どい球を投げても、プロの打者はファールにする。投げる球がなくなってくるんです」
 
 大越はドラフト1位投手という評価に応えようと必死で変化球を覚えた。すると今度はストレートの速度が落ちていた。
 
 プロ4年目の96年9月、大越は野手として一軍の試合に出場している。一軍の野手の数が足りなくなったからだ。投手よりも野手のほうが一軍昇格の可能性が高い。大越は翌シーズンからは投手に見切りをつけて、野手に転向することにした。
 
「びっくりしたのはピッチャーと違って野手は練習量が多いこと。二軍のバッティングコーチの山村(善則)さん、定岡(智秋)さんに徹底にたたき込まれました。夜遅くまで、もうマメが破れて、ぐじゃぐじゃになってまで練習しました。山村さんは帰りたいのに必死で投げてくださった。それに応えなきゃという思いでしたね」

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