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多田野数人、ドラフト1位の肖像#2――日本人2人目の快挙を達成。アメリカで生き残れた起死回生の球種

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2017/07/14

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田崎健太



マイナーでも年間の投球イニング数が設定

 多田野はインディアンスとマイナー契約を結び、傘下の1A、ノースキャロライナ州のキンストン・インディアンスから始めることになった。
 
「キンストンは、自分以外日本人は絶対にいないという、すごく小さな街でした。向こうの選手って本当に良くしてくれるんです。車がなかったのでいつも誰かに乗せていってもらいました」
 
 野球道具を持って、他の選手たちと一緒にピックアップトラックの荷台に揺られて球場に向かった。雲一つない青空が眩しかった。1Aは文字通り、ハンバーガーリーグだった。試合が終わると、店が開いているのはハンバーガーショップしかなかった。朝昼晩、3食ハンバーガーチェーンという日もあった。
 
 約1カ月で2Aのオハイオ州のアクロン・アエロスに昇格した。
 
「そのときはメジャーなんか考えたことはなかったです。野球をやる場所はここしかない。とにかくこのチームで結果を残したいという気持ちだけでしたね」
 
 1年目の終盤、3Aのバッファロー・バイソンズに昇格、2試合に登板している。順調に、メジャーへの階段を上りつつあった。
 
 多田野が感じたのはアメリカではマイナーリーグの意味がはっきりと定義されていることだ。
 
「5カ月で144試合。試合数がとにかく多い。途中、53連戦ということもありました。ただ、大切なのは勝ち負けじゃないんです。投手は年間投げるイニング数が決められていました。3試合に1試合ぐらいで、1年目は100イニング未満。計算していたら、本当に99イニングでした。当時、ぼくは若かったし、肩も元気だったから、もっと投げたかったんです。でも、ぼくが大きな怪我をしなかったのは、マイナーで大事にしてもらったからかもしれない。今振り返ると、いいシステムだなと思っています」

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