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多田野数人、ドラフト1位の肖像#3――日本ハム1年目の骨折で余儀なくされた軟投派への転向

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2017/07/15

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田崎健太



初登板初勝利も状態は「天と地の差」

 5月の北海道の天気は気まぐれである。
 
 雨が降って気温が下がり分厚い上着が必要になることも、あるいはからりと晴れて半袖で過ごせることもある。
 
 2008年5月2日は後者だった。日中の最高気温は25度、鮮やかな青い空が広がっていた。ゴールデンウィーク中ということもあり、札幌ドームの近くには屋台が出て、夏祭りのような華やかな空気となっていた。
 
 この日、ぼくは北海道日本ハムファイターズの社長、藤井純一と一緒に球場へ歩いていた。前年度、ファイターズは13億円の黒字を出していた。数十億円の赤字を毎年計上することが当たり前だった、パシフィックリーグでは極めて異例のことだった。月刊誌から彼のルポルタージュを頼まれていたのだ。
 
 対戦相手、東北楽天ゴールデンイーグルスの先発はダルビッシュ有と防御率争いをしていた岩隈久志。そしてファイターズは多田野数人と発表されていた。前年ドラフト1位で入団した彼の初登板だった。
 
 1回表、開幕戦以来の4万人の観客の前に、背番号16をつけた多田野がマウンドに登った。大学卒業後、アメリカに渡っていたため、ほとんどの観客は多田野の投球を観るのが始めてだったろう。
 
 1球、2球と投げ込んでいくうちに、スタジアムは不思議な雰囲気となっていた。多田野はアメリカで150キロほどの速球を投げると報じられていた。しかし、目の前の右腕投手がロボットのようにぎくしゃくとしたフォームで投げ込む球は130キロ代半ばしかなかったのだ。公式発表によるとこの日の最高速は139キロだった。
 
 その変則フォーム、そして事前情報とは違う球速に困惑したのか、イーグルスの打者は次々と凡退を繰り返した。多田野は7回を投げて1安打無失点、初登板初勝利を手にすることになった。
 
 多田野は少々複雑な表情でこう言う。
 
「ファイターズの方々には本当に申し訳ないのですけれど、アメリカでのピッチングとは天と地の差ですね」

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