多田野数人、ドラフト1位の肖像#3――日本ハム1年目の骨折で余儀なくされた軟投派への転向
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。
2017/07/15
田崎健太
指導者としての喜び
石川ミリオンスターズで多田野が意識しているのはアメリカでの経験だ。
「上から押しつけるようなことは絶対にしたくない。選手たちには野球を楽しく、なおかつ上(プロ野球)でやってもらいたい。例えば、フォームについては一切言わない。いいときは何も言わなくていいんです。じっと見ているだけ。調子が悪くなってきたときには、“いいときはこうだったよ”とその差を指摘する」
そしてもう一つは、気持ちの切り替えだと多田野は言う。
「これもアメリカでの経験なんですが、打たれたときに投手を責めない。だいたい打たれると頭が混乱している。だから、シンプルに“ピッチャーはバッターをアウトにするのが仕事だぞ”という言葉を掛ける。球を速くするとか、変化球をより曲げるとかじゃない。細かいことを気にせず、アウトを取ればいい」
石川のコーチになってから、ドラフト会議が近づくと多田野は落ち着かなくなるという。
「BCリーグって石川の他に9チームあるんです。うちの選手が指名されなくて、他のチームから指名されると一番悔しい。去年、うちの選手が指名されたときは、ぐっと来ましたね」
自分がドラフト1位指名されたときよりもうれしいですか、と訊ねると、多田野は目を丸くした。
「自分が1位指名されたときは涙なんか出ませんでしたよ」
そして「比べものにならないです」と笑った。多田野は様々な経験を経て、指導者の道をしっかりとした足取りで歩いている。そう感じさせる、笑顔だった。
【つづきは書籍で】
多田野 数人(ただの かずひと)
1980年4月25日、東京都出身。八千代松陰高校3年の夏に甲子園出場。立教大学時代には松坂世代の1人として注目を集めた。大学卒業後はクリーブランド・インディアンスとマイナー契約。2004年4月にメジャー昇格を果たすと同年7月2日、メジャー初先発・初勝利を挙げた(日本のプロ球界を経ずにメジャーに昇格したのは日本人選手で2人目)。その後、2006年にアスレチックスとマイナー契約。2007年ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから1巡目指名を受けて入団、先発・中継ぎとして在籍7年間で18勝をマーク。現在は、BCリーグの石川ミリオンスターズで選手兼任コーチを務める。
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