ヤクルトの投手獲得歴に見る 成瀬善久『球団史上最大級』の期待
このオフ、「異例」とも言える大型補強で注目を集めた東京ヤクルトスワローズ。なかでもロッテから移籍の成瀬善久にかかる期待は大きい。なにしろ1993年の制度導入以来、ヤクルトが初めてFAで獲得した投手なのだ。球団史上でも、かつてこれほどの期待とともに迎えられた投手はいただろうか?
2015/02/26
80年代には近鉄の『右のエース』を獲得も……
「ファミリー主義」と言われるヤクルトは、過去を振り返ってみてもトレードにはあまり積極的でなかった印象がある。したがって他球団から主力級の選手を獲得したケースそのものが、ごく限られてくる。
近年ではFAで2009年に横浜から相川亮二(現巨人)、2010年には阪神から藤本敦士を獲得しているが、どちらも野手。時代を遡っても目立つのは、1975年に日本ハムからトレードで獲得した大杉勝男、前身の国鉄時代に西鉄から移籍してきた豊田泰光といった野手組だ。
とはいえ、他球団から獲得した投手がヤクルトで活躍した例は少なくない。ただし、野村克也監督時代の田畑一也や若松勉監督時代の入来智に代表されるそうしたピッチャーは、いずれも他球団でくすぶっていた選手であり、成瀬のようによその球団でエース級の実績を残したピッチャーが、働き盛りのまま移籍してきた例はほとんど見当たらない。
1995年に近鉄からトレードでヤクルト入りし、3年連続2ケタ勝利を挙げて2度のリーグ優勝&日本一に貢献した吉井理人にしても、近鉄での実績は抑えとして残したものである。移籍前年は、ほぼ先発に専念していたが7勝7敗、防御率5.47という成績で、トレードの時点での期待値は今年の成瀬に及ぶものではなかった。
おそらくヤクルトの球団史上、これまでもっとも大きな期待を背負って移籍してきたのは、1983年に近鉄からトレードで加入した井本隆だろう。1979、80年に2年連続15勝と、右のエース格として近鉄のパリーグ連覇に大きく貢献した井本は、移籍前年の82年も11勝を挙げるなどバリバリの働き盛りと見られていた。
年齢的にも移籍の時点でまだ32歳。そんなピッチャーがあっさり放出されたのは、女性タレントとのスキャンダルで世間を騒がせたことが背景にあったと言われているが、その意味でも環境を変えるのは井本にとってプラスに作用するものと思われていた。
しかし、移籍1年目は8月14日の阪神戦で1イニング4被本塁打の日本タイ記録を作るなど、6勝14敗と大きく負け越し。2年目の84年も1勝4敗に終わり、井本は新天地で期待に応えることなくユニフォームを脱いでしまった。