泥沼ヤクルトに重なる98年ロッテの迷走。小川と黒木、エースの抑え転向失敗は連敗地獄の兆候か
2017/07/20
エースのリリーフ転向が裏目に
東京ヤクルトスワローズは、19日に横浜スタジアムで横浜DeNAベイスターズと対戦。山田・バレンティンの2人で3発のソロ本塁打を放ち、ベテラン・石川も5回2失点と試合を作ったが、救援陣の脆さが露呈し、逆転負けで今季最多の13連敗を喫してしまった。
大型連敗中のチームの救援陣がリードを守り切れない姿を見て、ヤクルト・小川泰弘投手と、NPB記録の18連敗を記録した際の千葉ロッテマリーンズのエース・黒木知宏投手の姿が重なって見えた。黒木は90年代後半からロッテのエースとして君臨し、闘志あふれる投球で人気を誇り”ジョニー”の愛称でファンから親しまれていた投手だ。
90年代のロッテは成本年秀・河本育之のWストッパーで試合を締めていたが、成本は1997年から、河本も98年シーズン開幕早々に故障離脱し、補強したスコット・デービソンも5月に故障でシーズン絶望となってしまい、リリーフ陣の穴が大きくなっていた。
そのような状況の中、ロッテのブルペン陣では吉田篤史・藤田宗一・竹清剛治・近藤芳久といった投手が奮闘していたが、首脳陣は連敗が始まり救援陣の脆さが露呈したことからエースの黒木をクローザーに転向させて連敗脱出を図ったが、これが大きく裏目に出てしまった。
6連敗を記録した98年6月18日の一戦では、先発の武藤潤一郎が好投を見せたものの、新クローザーの黒木が救援に失敗しまさかの逆転負け。そして、翌日の試合では打線が15安打10得点を奪ったものの、投手陣がリードを守り切れず悪夢の逆転サヨナラ負けを喫する。その後も黒木はリリーフ登板を続けたが、度重なる救援失敗など、いずれも勝利に結びつかず先発に再転向。そして、7月7日に黒木は中4日で16連敗中のチームを救うべく先発マウンドに上がる。
先発復帰した黒木はプレイボール直後から快調に飛ばし、イチロー・田口などを擁するオリックス打線を相手に9回途中まで1失点の快投。そして、9回二死2ストライクと勝利まであと1球まで迫ったが、139球目となる低めの直球をローボールヒッターのハービー・プリアムに左翼スタンドへ運ばれ、同点に追いつかれてしまう。そして、延長12回に近藤が広永益隆に代打満塁本塁打を浴びてしまい勝負あり。ロッテは17連敗でNPBワースト記録を更新してしまった。
勝利まであと1球のところで本塁打を浴びた黒木はマウンドに崩れ落ちてから立ち上がれず、その姿は全国で大きく報道され「七夕の悲劇」として現在まで語り継がれている。