クロマティ「日本に受け入れられた日」。頭部死球翌日の満塁弾で王監督と歓喜の抱擁
在日米国大使館主催のイベント「日米の野球史-パイオニア達に聞く異文化体験から得た教訓-」が26日、同大使館で開かれた。元読売ジャイアンツのウォーレン・クロマティ氏と日本人初のメジャーリーガーの村上雅則氏が登壇し、クロマティ氏は巨人時代の伝説の本塁打について語った。
2017/08/01
ヤクルト戦で頭部死球を受け入院
巨人に入団した「クロウ」ことクロマティは、日本球界初年度の1984年は打率.280、35本塁打、93打点と活躍。チームは3位と優勝できなかったが、初年度から日本球界で通用する姿を見せつけた。
そして、86年に絶好調だったクロマティは、広島と優勝争いをしていた10月2日の神宮でのヤクルト戦で頭部死球を受け、病院に搬送。入院を余儀なくされた。
病院で一晩過ごし、球団からは「家で静養していてください。野球場に来る必要はない」と言われ、元気だったが仕方なく帰宅したという。
しかし、そこで自分に問いかけた。「やっぱり試合に行く。自分は大丈夫だ」
神宮に向かうと、チームメイトは驚いた様子で、「クロさん、なんでここにいるの?大丈夫?」と質問攻めに。さらに王貞治監督にも「なんでここにいるんだ。家に帰れ」と命令されたという。
しかし、クロマティが大丈夫だと主張すると、王監督はスタメンに入れないことを条件にベンチで試合を見ることを認めた。
「オーケー、でも王さん、僕の名前を必要になるかもしれないから“念のために”ラインナップに書いておいてください。ちゃんと準備できていますから」