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古木克明、ドラフト1位の肖像#3――守備の不安消えず。三塁か外野か、一貫しなかった方針

かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。

2017/09/21

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不安視されていた守備

 古木克明は横浜ベイスターズ入団1年目、オリックス・ブルーウェーブとの練習試合で三塁を守ったときのことをよく覚えている。
 
「(ハービー)プリアムっていう選手だったかな、黒人のでかい右打ちの選手が立ったとき、すごく威圧感があった。サードって右打者からだと距離が近い。打球が速くて、どうやって捕ればいいんだって思ってました」
 
 高校時代から古木の守備は不安視されていた。
 
「高校のときはサードで、練習はほぼしていなかったです。2年生か3年生か忘れましたが、守備でやらかす回数が多かったので、至近距離からちっちゃいグローブでノックを打つという練習をやらされました。そのときは俺はキャッチャーじゃねえって、頭に血が上ったんです。グローブからボールがバンバン出ていくので、素手でパシーンって捕ったり。練習っていうのは、目的を理解せずただやっているだけでは駄目なんですよ」
 
 プロに入ってくる選手、特にドラフト1位として指名されるような選手は突出した何かを持っているものだ。練習はもちろんだが、実戦で経験を積ませて、長所を伸ばして短所を消していく。古木の場合はまず守備の不安を消すことだったろう。
 
 育成はチームの中長期的な視野とも密接な関係がある。どのポジション、どのような打者として育てるかという像を一軍、二軍の指導者が共有することが望ましい。
 
 古木にとって不幸だったのは、ベイスターズはそのようなチームではなかったことだ。
 
 古木はこれはずいぶん後になってから聞いた話ですと前置きしてこう言う。
 
「ぼくは2年目のシーズン、二軍ですごくバッティングの調子が良かったんです。なんで(一軍に)上げてくれないんだと思っていた。そうしたら、古木に関しては長い目で見ているので、一軍にはしばらく上げない。二軍で試合に使い続けて、サードとして育ててくれと権藤さんは二軍の監督に頼んでいたらしいです。ところが、二軍の監督は、守備は不安だし、出場機会を増やしたいからって、外野に持っていったんです。ぼく、子どもの頃から外野手ってやったことなかったんです。ぼくは守備が苦手なのに、外野を守ったり、サードを守ったり。自分のポジションってどこか分からなかった」

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