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ロッテ・井口、引退試合で本塁打が生まれた理由は? 21年の現役生活で守ってきたもの

千葉ロッテマリーンズの井口資仁内野手は、21年間のプロ野球生活の幕を下ろした。「1試合でも多く、自分のユニホーム姿を見てほしい」と今年6月20日に引退を表明してから3カ月。日米球界を渡り歩いたベテランは、チームに何を残したのか。

2017/09/26

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オフには代理人探しの用意周到さ

 2005年から挑戦したメジャーリーグもそうだった。
 
 日本で成功したからという突発的な気持ちで海を渡ろうとしたのではない。大学時代にアトランタ五輪などの国際大会を経験していた井口は、プロ入団以前からメジャー挑戦を思い描いていた。
 
 まだ日本で名声を上げていなかった頃、シーズンオフには代理人を探すために渡米していたほど。その姿勢だけでも彼の目標に対する用意周到さが伝わってくる。
 
 当然、技術への取り組みも同じだ。打撃面もメジャーを見据えて修正を加えた。
 
 「2000年くらいのことだった。入団して最初の何年かは結果が出ていなくて、もう少し自分を見直して目標をしっかり持ってやりたいと思った。その中でどうすれば、メジャーの動く球に対応できるか。当時、日本にはツーシームを投げる投手はほとんどいなかった。動く球をどうしたら打てるか考えて、ミートポイントを捕手寄りにしてからバッティングが良くなった」
 
 一方、守備では人工芝の福岡ドーム(現ヤフオクドーム)で前に出て捕球するようにした。練習ではショートのノックも受け、逆シングル、ジャンピングスローの形も習得。セカンドベース上のピボットも米国ではスパイクされるから意識的にバランスを崩さないプレーを心掛けた。
 
 試合で使うかは別として、自分のプレーで手がいっぱいになるのではなく、将来を見据えた取り組みを常に心掛けたのだった。
 
 「何事もそうですけど、挑戦する限りは準備してから行かないと絶対に後悔する。やれるだけやってダメなら納得できる。メジャーで成功できるための準備はしっかりやれていた。だからどれだけ通用するか楽しみだった」
 
 こうして井口は日本人で唯一、内野手として成功を収めるという名声を掴むことができたのだ。

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