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荒木大輔、ドラフト1位の肖像#1――高校1年、早実に背番号11のエースが誕生した理由

2017/10/24

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世界大会でノーヒットノーラン

 調布リトルは300人ほどの子どもが所属していたという。
 
「上の方のクラスはポジションが決められますけど、ぼくが最初入った頃は、じゃんけんをして勝った順にポジションを取っていく。ぼくはピッチャーを希望して、負けるとサード、ショート、セカンドっていう風に回される」
 
 このとき、4つ年上、次兄の健二はレギュラーとして試合に出ていた。
 
「バリバリの中心選手でした。打って守れて、肩が強い。家で短パンとかはいているでしょ、子どもながら兄貴の筋肉と自分のが違うのが分かる。兄貴の脚を触りながら、どうやったらこんな風になるんだろうって思っていました」
 
 荒木は同級生と比べて躯が大きく、早くから飛び抜けた存在だったという。
 
「兄貴と対等にやりたい、兄貴に追いつきたい。それだけでした。生意気ですけれど、同級生とは話にならなかった」
 
 荒木は小学5年生のときから投手兼三塁手として先発の座を掴んだ。このときすでに身長は157センチもあった。

 そして小学6年生の夏、日本選手権で優勝、グアムで行われた極東大会に進んだ。この極東大会でも優勝を飾り、ペンシルバニア州ウイリアムスポートで行われた世界大会に出場している。
 
 途中で立ち寄ったニューヨークで荒木はマンハッタンの高層ビルに圧倒された。そしてマクドナルドのハンバーガーが美味だったことを覚えているという。
 
 世界大会ではやはり投手兼三塁手として登録。投手としての登板は投球制限があり、準決勝のプエルトリコ代表戦のみ。この試合で荒木はノーヒットノーランを成し遂げている。決勝でも勝利し、「調布リトル」は世界一となった。

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