荒木大輔、ドラフト1位の肖像#2――大輔フィーバーの影響、「僕は早稲田大学に進学するつもりだった」
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。
2017/10/25
自分たちはそんなに強くない
荒木大輔にとって初めての甲子園は80年の夏だった。
1回戦の相手は大阪府代表の北陽だった。北陽は激戦区の大阪府を勝ち抜いてきただけではなく、参加校中、最高のチーム打率.374という打撃のチームだった。
先発を託された荒木は北陽打線を5回まではノーヒットノーラン、1安打完封。6対0で勝利を収めた。北陽が完封負けを喫したのは、練習試合を含めて、春の選抜で東東京都代表の帝京に0対2で敗れて以来のことだったという。
端正な顔つき、高校生になったばかりの1年生のという儚げな空気は見る人の心を掴んだ。
「試合が終わって宿舎に帰ったら、世界が変わっていたんです。ほんの2時間ぐらい前とは全く違っていた。それまでは駅まで普通に歩いて、買い出しに行っていたのに、試合の後は宿舎に入れない」
荒木を一目見ようという人間が集まっていたのだ。
バスを横付けし、他の野球部員が手をつないで荒木を守るようにして宿舎に入れることが出来た。
早稲田実業は決勝まで進み、横浜高校に敗れたものの準優勝という好成績を収めた。