荒木大輔、ドラフト1位の肖像#2――大輔フィーバーの影響、「僕は早稲田大学に進学するつもりだった」
かつて「ドラフト1位」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。華やかな世界として脚光を浴びる一方で、現役生活では「ドラフト1位」という肩書に苦悩し、厳しさも味わった。その選手にとって、果たしてプロ野球という世界はどのようなものだったのだろうか。
2017/10/25
82年ドラフトの注目選手に
個人的にも荒木は同世代の飛び抜けた力のある選手とは差を感じていたという。
「例えば斎藤雅樹と試合をしているんですよ。彼はとんでもないボールを投げていたんです。こういう選手がプロに行くんだろう、俺たちじゃないって話をしていたぐらい」
斎藤のいた市立川口は甲子園に出場していないが、82年のドラフトで読売ジャイアンツから1位指名される。
甲子園でも後にプロ野球に入る選手と対戦している。
高校2年生の夏、3回戦で兵庫県代表、優勝候補と目されていた報徳学園と当たっている。報徳の4番ピッチャーには、後に近鉄バファローズからドラフト1位指名される金村義明がいた。
「ピッチャーとしてはそれほどでもなかったんですが、バッターとしてはスイングも速いし、すげぇなっていうのがありました」
早稲田実業は報徳に延長戦で敗れている。
また、3年生の夏は準々決勝で徳島県代表の池田と対戦した。
「畠山(準)は凄かった。当時はスピードガンはそれほど普及していなかった。後から彼に聞いたら148キロ出ていたって言うんです。昔のスピードガンって、測定方法のせいなのか、今よりも速度が出にくかった。今だったら感覚的に150を軽く超えている感じ。もうバケモノですよ」
畠山はこの年のドラフトで南海ホークスから1位指名されている。
荒木は7回まで投げて、被安打17、自責点9と散々な出来だった。2対14で高校生として最後の甲子園を終えた。甲子園での最高成績は高校1年夏の準優勝だった。