北海道移転後に主力選手へ――「鎌ケ谷1期生」を育てた白井コーチの功績【えのきどいちろうのファイターズチャンネル#62】
今季限りで、白井一幸コーチがファイターズを退団する。北海道移転後のファイターズ野球の礎を築いた功労者は、選手に対して常に全力プレーを要求した。
2017/10/22
鎌ケ谷の青春が一巡
白井2軍監督が鍛え上げた「鎌ケ谷1期生」のグループには、前述のヒチョリ、賢介のほか、高橋信二、飯山裕志、小田智之、鶴岡慎也といった後に北海道で花開く若者たちがいた。「練習の鬼」は彼らに全力プレーを要求した。結果だけを言うなら打てるときも打てないときもある。が、全力でプレーすることはいつでも可能だ。全力で走れ。全力で飛び込め。それが白井イズムだった。
「それが全力か? 僕はいつもそう尋ねました。彼らの意識を変えたかったんです。いつも最高の舞台をイメージするように仕向けました。その打席が日本シリーズ第7戦のチャンスの場面だと想像してみろ。その打球が日本シリーズ、勝利に向かう最後のアウトだと想像してみろ。そうすれば2軍の試合や練習はただの2軍のそれじゃなくなるはずです。それを全力でやり切れるかどうか、やり切れる選手を育てるのが僕らの役目でした」(白井一幸氏コメント、取材メモより)
球団の北海道移転はファイターズ野球を質的に変化させる好機だった。それはホーム球場が「狭い東京ドーム」から「広い札幌ドーム」に変わったことから必然的に導き出されたことだ。「ビッグバン打線」のファイターズから「ディフェンス野球」のファイターズへ。投手の分業制が徹底され、外野に俊足の選手を揃えられた。得点もホームランより、足をからめた攻めが志向される。その主力を担ったのが白井2軍監督門下の「鎌ケ谷1期生」たちだった。今、僕らがファイターズらしい野球というとき、その土台にあるのは90年代、鎌ケ谷で準備されたものだったと思う。
白井さんが札幌ドームを去る日、僕は立ち上がって盛大に拍手した。泣けて泣けて、球場の光景がぼやけてしまった。
白井さん、おつかれ様でした。鎌ケ谷の教え子たちは30代になり、コーチになり始めています。賢介はまだ頑張ってるけど、今シーズンで飯山が引退です。鎌ケ谷の青春が一巡したんだなぁと思います。ウソみたいですねぇ。今度はあいつらがワカゾーを鍛えてるんだ。ありがとうございました。また球場でお会いしましょう。これからもファイターズを熱く見守ってくださいね。
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