“俺はできる”。ラミレス監督が語るDeNA躍進の理由。大打者がもたらした自信【インタビュー】
2年連続のクライマックスシリーズを突破し、3位ながら日本シリーズ進出するなど躍進を遂げた横浜DeNAベイスターズ。その原動力となったのは、アレックス・ラミレス監督のマネジメント力だった。DeNAの成長ぶりは様々な見解がなされているが、ここではラミレス監督本人に語ってもらった。
2017/12/20
「日本でプレーしていく中で…」。史上最強助っ人に芽生えた“思い”
アレックス・ラミレス監督は、98年にMLBでデビューし、01年にヤクルトでNPBデビューを果たした。その後、ヤクルトで7年、巨人で4年、DeNAで2年間プレーして首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回、MVPを2回受賞。さらに外国籍選手として初となるNPB通算2000安打を達成するなど、歴代最強の外国籍選手として活躍を果たした。
「私はルーティンをすごく大切にしている。野球というのはマインドゲームというか、心理戦が70%、30%がフィジカル的なもの。しっかりとしたルーティンを持って試合前に準備しておくことが非常に重要であり、持っていないと安定した成績を毎年残すというのはなかなか難しいと思う」
屈強な肉体を持ち、内外を広角に打ち分ける高い技術を持った外野手だったが、自らの成功の要因にはメンタルを挙げた。
「特に選手がブレイクした年、例えば1年を通して良い成績を収めたら『自分はいい選手、これだけの選手なんだ』と思い込んで来年もそのままやっていく。すると、他の5球団は徹底的に分析してくるから、次の年に同じような成績を残すのは難しくなる。野球はメンタル、心理戦のスポーツ。相手チームは分析してくるから、さらにそれ以上に自分自身が相手チームに対して分析していかないと、継続して素晴らしい成績をあげるというのは非常に難しくなると思う」
心理戦で優位に立つためには、「分析」が重要であることを説いた。南米や米国と日本の野球の違いに苦しむ選手も少なくない中で、球史に残る成績を打ち立てた背景には、グラウンド外での人知れぬ努力があった。そして、長く日本でプレーする中で、ある“思い”が芽生えた。
「マイナーリーグで数年過ごして、メジャーリーグでも2、3年過ごしたけど、日本に来てから5年、6年、7年とキャリアを積み上げていく中で、『監督になりたい』という思いが膨らんできたんだ」