「新たな阪神を」星野氏が託した夢。金本監督が継ぐ“闘将イズム“と逆襲Vのキーマン
楽天球団副会長の星野仙一氏が4日、すい臓がんのため死去した。70歳だった。突然の訃報に各界から早すぎる死を惜しむ声が広がるが、その“闘将イズム”は教え子に引き継がれる。
2018/01/09
Getty Images
闘将が教え子に抱いた夢と期待
闘将が天国へと旅立った。元中日ドラゴンズ投手で中日、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務めた星野仙一氏(楽天球団副会長)が4日、すい臓がんのため70歳で死去。突然の悲報に日本球界は深い悲しみに包まれた。
約1カ月前までは公の場において務めて明るく振る舞っていた。あらためて、その当時の場面をプレーバックしてみたい。
昨年12月1日、大阪市内のホテルで行われた「星野仙一氏 野球殿堂入りを祝う会」の壇上でのこと。出席した関係者によると、人知れずすい臓がんと戦い続けていた星野氏は開催が危ぶまれるほどに弱りかけていたものの、周囲から目を向けられることを意識してか、常に笑顔を絶やさなかったという。
そして阪神監督時代の2003年にリーグ優勝を果たした際のVメンバーだった阪神・金本知憲監督、矢野燿大2軍監督、片岡篤史ヘッド兼打撃コーチを壇上に呼び寄せ、次のように熱いゲキを飛ばしたことが伝えられている。
「このメンバーが軸になって、新しいタイガースを作ってほしい。(優勝は)もう2年ぐらい、待ってください」
さらに会の終了間際にも「甲子園で阪神と楽天が日本シリーズをしてくれるのが本当に夢だ。生きている間にやってほしい。楽天には頑張るように言っている。タイガースも頑張ってほしい」と力強く言葉を並べていたようだ。
これは決してリップサービスなどではなく、心からの本音だろう。星野氏は自身にとって非常に思い入れの強い古巣2チームが今秋、日本一を決めるひのき舞台でしのぎを削り合う流れとなることに誰よりも大きな期待を抱いていた。
しかし結局、星野氏は甲子園における「日本シリーズ・阪神対楽天」の頂上決戦の実現を目にしないまま、この世を去ってしまった。それでも……今の時点で天国から「後は頼んだぞ」と強いメッセージを送り続けているような気がしてならない。