原辰徳氏、殿堂入りの意味。苛まれ続けた巨人での”過小評価”とついに得た「正当な評価」
2018/01/16
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原氏がようやく得た「正当な評価」
やっと“正当な評価”を得られたのではないだろうか。
巨人前監督の原辰徳氏がエキスパート表彰で野球殿堂入りを果たした。現役時代は巨人の4番として活躍し、1983年にはリーグMVP、打点のタイトルを獲得。通算382本塁打をマークしたもののプレーヤー表彰では有資格最終年の2010年に6票足りず、わずかに及ばなかった。しかしエキスパート表彰で2年目を迎えた今年、ついに吉報が届いた。
巨人の監督として通算12年、タクトを振った。その間、リーグ優勝7回、日本一も3回達成。2009年には日本代表・侍ジャパンの監督を務め第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でチームを世界一連覇へと導いた。同年には国際野球連盟(IBAF)から世界最優秀監督にも選出されている。
殿堂入りにふさわしく、文句など一切付けようもない。すばらしい経歴の持ち主であることは間違いないだろう。だが原氏はここまで誰もが認める経歴を誇りながらも、その存在を何となくどこか軽く見られがちなところもあった。
1981年の巨人入団1年目から長嶋茂雄氏、王貞治氏の歴代スーパースターの後継者として期待され、人気選手として一時代を築き上げた。ところが何かと国民的人気を得たONと比較され続け、時には「勝負弱い」などとバッシングを受けることも少なくなかった。
現役引退後は長嶋監督のもとでコーチとして帝王学を学び、バトンを引き継いだ2002年に監督就任1年目で日本一を達成した。ところが、翌2003年9月に首位を走る阪神に10ゲーム以上の大差を付けられ、当時オーナーだった渡邉恒雄氏にメディアを通じて来季続投が不透明な状況であることを明かされると、その後に辞任。
一説には自らオーナーのもとを訪れ、涙ながらに辞表を出したとも言われている。辞任会見で原氏はオーナーの渡邉氏から監督退任について「読売グループ内の人事異動」との一言で片付けられる屈辱も味わった。