原辰徳氏、殿堂入りの意味。苛まれ続けた巨人での”過小評価”とついに得た「正当な評価」
2018/01/16
Getty Images
殿堂入りは“栄光と挫折”の勲章
3年後の2006年に巨人監督へ復帰。しかし実は、この時も球団会長として権限を握っていた渡邉氏が星野仙一氏の招へいを目論むも、球団OBや有識者たちから難色を示され、消去法で原氏を選んだという背景があったとささやかれている。
そして、その渡邉氏から原氏は監督再登板期間中も、当時中日監督だった落合博満氏の手腕を引き合いに出されて公然と采配批判を受けたり、何かと手厳しい言葉を向けられたりすることが数多くあった。それでも2009年シーズンは前記したように開幕前、第2回WBCで世界一連覇を達成した。
この侍ジャパンの監督就任は、もとはと言えば他の本命候補に次々と断られていた。そんな中、WBC日本ラウンドの主催者が巨人の親会社だった関係もあってジャイアンツ監督職の原氏にお鉢が回って来た格好だった。しかし、巨人との兼任指揮官という重責になりながらも原氏は最終的に「国のためならば」と嫌な顔を見せずに快諾し、大きな重圧を乗り越えて見事にチームを世界の頂点へと導いたのである。
そして同年のシーズン開幕後はONも果たせなかったセ・リーグ3連覇を達成し、日本シリーズと日韓クラブチャンピオンシップも制覇。WBC優勝と合わせると同年は前人未到の年間4冠王に輝いた。その栄誉と手腕に関し、原氏はようやく渡邉氏からも賞賛を送られた。
ONとの対比に人知れずさいなまれつつ、巨人では栄光だけでなく挫折も味わった。そして指導者としては渡邉氏ら身内のトップからなかなか認められずに酷評されることもあった。それでも自分の力を信じてブレずに長い年月を要しながら努力を重ね、苦節を乗り越えて万人からも認められる存在になった。
エキスパート表彰での殿堂入りによって「名将」の太鼓判を押されたことは、まさにその勲章だと思う。