SBゲレーロ通訳「いつか日本で指導者に」。一軍登板は叶わずも、新たな夢を掴むため【インタビュー】
NPBでプレーする外国人選手は、様々な事情や思いを抱えている。現在、福岡ソフトバンクホークスで通訳を担当しているウィルフィレーセル・ゲレーロ氏は、かつて広島東洋カープの練習生として来日した経歴を持つ。ゲレーロ通訳は、目標だったNPBでの一軍登板は叶わなかったが、日本での新たな夢のために邁進している。(取材・文:高橋康光)
2018/02/03
Yasumitsu Takahashi
独立リーグで好成績も広島では支配下登録を勝ち取れず
――そして四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の長崎セインツに派遣されています。当時を振り返ってみてください。
「来日当初は、言葉や文化の壁にぶつかりました。今じゃ考えられないですが、食事も合わなくてキツかったです。あとは練習量の多さに驚きました。朝から始まり、昼食をはさんで夕方まで。これで終わるのかと思ったら夕食後にも。いったいいつ終わるんだと思いました(笑)。
確かにカープは練習量が多いと有名ですが、独立リーグでもそうでした。長い移動を終えて夜中の3時くらいに同僚のドミニカ人と自販機に飲み物を買いに行ったら、素振りをしている選手がいたほどですからね」
――2009年には徳島インディゴソックスで好成績を収め、2010年にはカープとの育成契約選手となりました
「野球はもちろんですが、言葉や食事など含めて日本に慣れてきたのが大きかったですね」
――しかし、育成選手として2シーズンを過ごすも、支配下登録は勝ち取れず契約解除に。ご自身では、どのようにこの現実を分析していますか
「この時期、自分では結構な自信があったのですが、球団の評価は違ったということですね。いいピッチングを見せることもできたと思うのですが、制球力や安定感というところで信頼を十分に得られなかったのだと思っています」
――そして一度ドミニカに帰国されたわけですね
「はい。この時は本当に野球を辞めようと思っていました。日本の一軍でプレーするというのが大きな夢だったし、さっきも言った通り、自分なりには結構自信もあったので、本当に落ち込んでいました。MLBのマイナーで練習できる機会もあったのですがやめたほどです」
――そこからどのように立ち直ったのでしょう
「知人からの励ましですね。常に準備はしておけと言われ、練習を再開しました。そして、日本の知人の紹介を通じて高知ファイティングドッグスの入団テストの話をもらい、また日本へ行くことができました」