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「お前ら悔しくないのか!」。今の選手、監督にも怒り…江本孟紀氏が語る人間・星野仙一

 野球評論家の江本孟紀氏は、2018年1月4日すい臓がんのため70歳で亡くなった星野仙一氏と長年にわたって交流があった。選手を叱咤激励し続けた星野氏について旧知の江本氏にはどのように映ったのか。3月22日に『僕しか知らない星野仙一』を上梓した江本氏が客観的に分析する。

2018/03/20

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星野さんのようなタイプは二度と野球界に表れない

 星野氏が亡くなる1年前の楽天の春季キャンプで、江本氏は星野さんと談笑していたという。今回の書籍にも掲載された写真がまさにそれにあたるが、このときはいったいどんな会話をしていたのだろうか。
 
 「今の選手、とりわけ投手のことですね。『負けた試合の翌日に新聞を読むなんて、そんな気持ちはわからん』ってぼやいていました。
 
 投手は試合でKOされれば当然悔しいはずです。そこで気分転換を兼ねて外出し、夜ぐっすり眠る。でも翌朝になってから、前日の試合の詳細が書かれた記事を見ようものなら、再び悔しさが募ってくる。僕たちはそんな思いをしたくないから、負けた翌朝のスポーツ新聞は目を通さなかったんです。
 
 でも今の若い選手たちは違う。試合に負けた翌朝でもケロッとした顔で、スポーツ新聞を読んでいる。『お前ら、悔しくないのか!』という思いが、星野さんにはあったのだと思います」
 
 さらに今の監督たちについても話が及んだそうだ。
 
 「監督の個性が見えてこない。『オレはこういう野球をするぞ!』というメッセージが伝わって来ず、淡々と試合を消化しているようにしか思えない。それと監督の威厳がなくなったような気がしています。厳しさと緊張感をベンチ内に醸し出していた監督は、私が見る限りでは星野さんが最後だったような気がしています」
 
 今後、星野氏のようなタイプの監督が出てくる可能性があるのか、江本氏に水を向けると、「それはないでしょう」と一刀両断した。
 
 「長嶋さんや王貞治さん、野村克也さんのようなタイプも含めてですが、こうした個性の強い監督というのはもう野球界には出てこないでしょう。とくに星野さんはここに挙げたお三方と違って、喜怒哀楽を前面に押し出したスタイルを貫いた。今の12球団にはない監督像を作り上げたといっても過言ではない。これはある意味、星野さんの功績でしょうね」
 
 最後に改めて江本氏にとって星野氏はどのような存在だったのかを聞いた。
 
 「正直なところ、僕は『人間・星野仙一』の本性については、わからずじまいのままだったんです。星野さんは僕たち後輩と一緒に食事に行くようなタイプでもなかったですし、監督と一解説者という立場でグラウンド上で接しても、一定の距離を保っていた。
 
 でもそのおかげで、僕と星野さんの間にはほどよい緊張感が生まれ、客観的にいろいろなことが分析できたのも、また事実です。
 
 僕は星野さんと、同時代を生き抜いたことを楽しませてもらったと思うのと同時に、感謝しています。この本には星野さんに対する、僕なりの愛情をたくさん詰めこませていただきました。これからも星野さんが野球界で果たした役割について、多くの野球ファンに語っていきたいと思っています」
 
<書籍情報>

『僕しか知らない星野仙一』
江本孟紀著
 
四六判 P208 2018年3月22日発売
https://www.amazon.co.jp/僕しか知らない星野仙一-江本孟紀/dp/4862554628/

1,300円+税
 
王さん、長嶋さん、野村さんと同じように
星野さんのようなタイプも野球界にもう永遠に出てこない
 
大学時代から50年以上にわたり交流、
闘将の知られざる素顔を”えもやん節”で明かす
 
「星野さん、全部話してすんません! 」
 
今、あらためて星野さんのことを語る意味とは
 
僕たち団塊の世代に生まれた元プロ野球選手は、多くのライバルと競い合い、己の技術を高めあってきた。
けれども、選手としてはそれなりに成功を収めても、監督としてはさほど成功していない。
いや、正確には監督のお声がかかったのは、山本浩二さんや田淵幸一さん、山田久志、大矢明彦ら、ごく一部の人間だけだ。
 
そう考えると、僕らの世代で監督として成功したのは、星野さんだけなのかもしれない。
通算勝利数の1181という数字は、川上哲治さんの1066勝、長嶋茂雄さんの1034勝を上回る。
この点は素晴らしいの一言に尽きる。
 
星野さんが球界に遺したものとはいったい何だったのか。これまでの生きざまを紐解きながら、検証していくことで見えてくるものがあるはずだ。それをみなさんにも知っていただければ幸いである。
 
【目次】
 
プロローグ 星野さんと交わした最後の会話
第1章 コーチャーズボックスから聞こえる「声の主」
第2章 星野批判がマスコミから起きなかったワケ
第3章 「巨人キラー」から「オヤジキラー」へ
第4章 「星野仙一を演じ続けた」理由とは
第5章 星野さんの球界への遺言(メッセージ)
エピローグ 星野さんが果たせなかった「夢」
 
 
江本孟紀(えもと・たけのり)
 
1947年7月22日高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組を経て、70年ドラフト外で東映フライヤーズに入団。
1年目のオフに南海ホークスへトレードすると、いきなり16勝をマーク。在籍4年間すべて二桁勝利を記録した。75年オフに阪神タイガースへ再びトレード。1年目から15勝を挙げてエースとして活躍した。81年に現役を引退。
113勝126敗19セーブ・防御率3.52。その後は野球解説者・評論家として活動していたが、1992年に政界へ進出し、参議院議員を2期12年務めた。2001年参議院初代内閣委員長。
現在はプロ野球解説者として活動する傍ら、野球界の底辺拡大に努める。四国アイランドリーグplus高知ファイティングドッグス球団総監督。故・星野仙一氏とは大学時代から50年以上の交流を持った。

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