「怠慢プレーに容赦なし!」ベイスターズ躍進を支える中畑清監督の”熱血”伝説
9月19日現在、セ・リーグ4位の横浜DeNAベイスターズだが、まだまだクライマックスシリーズ進出は諦めていない。最下位が指定席となっていた数年前のチーム状況とは異なり、希望は残されているからだ。こうしたチーム状況の変化をもたらしたのは、2012年より指揮を執る中畑清監督であることに異論はないだろう。持ち前の熱血指導で横浜DeNAを目覚めさせた指揮官の"熱さ"のルーツを探る。
2014/09/20
「絶好調」の口癖が増幅させた”熱血漢”のイメージ
横浜DeNAの指揮を執る中畑清監督には、いつだって“熱血”の二文字がついてまわる。
キャンプや公式戦前の練習。このとき特定の選手の指導に当たると、ウェブサイトや翌日のスポーツ紙の見出しには、「中畑 熱血指導」の文字が踊る。そして、我々読者も「あの中畑監督のことだから……」と、その現場を実際に見たわけでもないのに、つい納得させられてしまう。大声を出し、身振り手振りを交えながら、懸命に選手を指導する監督の姿が目に浮かぶからだ。
それは、少年野球教室やトークショーでも変わらない。こうしたイベントの開催を伝える報道では、必ず「熱血」の二文字が冠につく(ちなみに筆者も小学3年生のときに、現役を引退した直後の中畑さんのトークイベントに出席したことがある。失礼ながら内容はすっかり忘れてしまったが、とにかく声が大きかったことだけはよく覚えている)。
こうした中畑監督の“熱血漢像”は、どのようにして生まれてきたのだろうか。
巨人に在籍していた現役時代から、そのプレーはとにかく熱かった。現役最終年となった1989年シーズン。リーグ優勝を決めたゲームで、代打で出場した中畑は二塁打を放った。打球は外野を深々と破り、二塁へは悠々セーフになるタイミングで到達したものの、豪快にヘッドスライディング。満面の笑みでガッツポーズを見せると、ジャイアンツファンは大いに盛り上がり、ベンチにいる選手たちからも爆笑をかっさらった。
そもそも現役時代の口癖が「絶好調!」だった。プロ入り間もない頃、土井正三コーチ(当時)に、「監督から調子を聞かれたら、どんな状態でも『絶好調』と答えろ」と指導されたことが、その由来。ヒーローインタビューやテレビ取材などで「絶好調!」と大声で叫ぶ姿も、熱いプレーと相まって、中畑清の熱血漢のイメージをつくりあげていった。