指導者は「人を見て法を説け」。野村克也氏が阪神・藤浪晋太郎に伝えたかったこと<再掲載>
野村克也氏が11日、虚血性心不全により84歳で死去した。現役時代は戦後初の三冠王(1965年)に輝き、引退後はヤクルトを3度の日本一に導いた名将。現代の野球観にも多大な影響を与えた唯一無二の存在だった。 また指導者としても、数多くの名選手を育て上げてきた手腕は、今なお求める声が大きい。“ノムさん”が日本野球の行く末を憂い生前に残した言葉には、未来につながる気づきが詰まっている。2018年6月22日に配信した「本来持っているはずの実力を発揮できないでいる選手を再びよみがえらせる方法」のインタビューを再掲載する。
2020/02/12
Getty Images
「人を見て法を説く」、今の藤浪にかけてあげるべき言葉とは
なぜ藤浪は頑なまでにこういう態度をとってしまったのか。ピッチングコーチのアドバイスが合わないということを差し引いても、入団1年目にしかるべき「人間教育」を施していなかったことに尽きる。
「自分1人でうまくなった」「自分の力で勝ってきた」、そう誤った考えを起こさないようにするためにも、謙虚さや素直さを持つことの大切さを説き、正しい方向に歩んでもらう。そうしたことを、プロの世界に入った間もない段階で教えるべきだった。
ただし、阪神にはこうした教えを受け入れない土壌であることは、他の誰よりも私が一番よくわかっているつもりだ。1999年から3年間、阪神の監督を引き受けた際、ミーティングの時間にまともに耳を傾けていた選手は皆無に近かった。その結果が3年連続しての最下位。やることなすことすべてが空回りで終わった。
このようなチームでは、どんなによい指導者が来たところで、その力を発揮することなく終わってしまうのがオチだ。
もし私が藤浪を指導するならどうするか?
まずは彼の持っている潜在能力を認めるだろう。つまり、「褒める」のだ。
だが、次は「ただし、今のお前さんじゃいつまで経ってもよくならないぞ」と苦言を呈する。
もちろんここで終わらない。それでは藤浪というピッチャーは「キャッチャーの立場から見て、どういうボールを投げるからすごいと感じるのか」、あるいは「バッターの立場から見て、どういうボールを投げられるのが嫌なのか」を説明していく。
今の藤浪は、「ピッチャーの目線」でしか物事を考えられていない。つまり、「どういうフォームに改善すればいいのか」ばかりに終始し、考え方の幅が狭くなってしまっているのは間違いない。
そこでキャッチャー、あるいはバッター目線から「藤浪というピッチャーの持っていた長所」を伝えてあげる。そうすることで、何らかの「気づき」を与えてあげることができるはずだ。
そうしてひとしきり説明した後、「だからこういうボールを投げられるようにしてみなさい」と締める。
藤浪のこれまでの言動から見て、彼は感性のみでただ投げるようなタイプではなく、理論を必要として、そのうえで投げようとするタイプだと見た。だから「気合だ」「根性で乗り切れ」などという言葉は彼にとってはまったく響かない。
具体的な方法を理論的に、かつ多角的に伝えてあげることが、解決の糸口になるかもしれない――少なくとも私ならばそう考える。
このように普段の言動や振る舞いなどから人間性を把握し、「この選手にはどういったアドバイスが効果的なのか」を考え、見つけ、そして言葉で伝える。
つまり、「人を見て法を説け」とは、相手の人間性や気質を考え、適切な言葉をかけてあげること――これこそが、指導者が持ち合わせていなければならないスキルの1つである。