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石毛博史、ドラフト外の肖像#1――ドラフトで問題視、野球人生を左右させた伸びない肘

日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。本連載ではそんな「ドラフト外」でプロに入団した選手1人の野球人生をクローズアップする。

2018/08/14

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田崎健太



小学5年生ですでに120キロ

 石毛博史は1970年7月、3人兄弟の二番目として生まれた。野球を始めたのは、小学4年生のときだった。
 
「放課後、野球部が練習しているのを見ていたんです。そうしたら大人の人が近づいて来て、やりたいのって言われたんです。それでやってみたいと答えました。後からその人が監督だということに気がつきました」
 
 野球の世界では、練習や努力で手に入れられない二つの才能がある。飛び抜けて速い球を投げられること、そして打球を遠くに飛ばすことだ。石毛には前者の才能が備わっていた。
 
 本城小学校野球クラブでは小学5年生から試合に出場。小学校を卒業する頃には、軟式ボールで120キロほどの速球を投げる右腕投手として近隣で名前を知られる存在となっていた。
 
 しかし、銚子第五中学に進んだ石毛は早々に躓いた。
 
「ぼくの中学には二つの小学校から一人ずつピッチャーが入って来る。そのピッチャー二人が毎日500球ぐらいバッティングピッチャーとして投げさせられるんです。それがその中学の伝統だったみたいで」
 
 中学1年生の夏になった頃だった。監督から「お前、肘伸びるか」と訊ねられた。石毛が右腕を動かしてみると、真っ直ぐに伸びない。
 
「野球肘でした。遊離軟骨が関節のどっかに挟まってしまって伸びなくなっていたんです。痛みはあったんです。(遊離軟骨が)変なところに挟まってしまうと、動かせないぐらい痛くて、衣服のボタンもはめられない、髭剃りも出来ない」
 
 野球肘は肘の外側で骨同士が摩擦を起こし、骨、軟骨が剥がれる症状である。また、肘の内側、後方で靱帯、腱、軟骨が損傷することもある。成長期の過剰な投げ込みで起きるとされている。
 
「(医師からは)手術を薦められましたが、当時は内視鏡手術がなかった。(肘にメスを入れて)切ると野球選手生命が終わるというのが、子ども心ながらにあって、そのまま様子を見ることにしました。半年ぐらいはノースロー、投球禁止でした」
 
 投球を再開したのは、中学2年生になってからだ。安静にしていたことが良かったのだろう、投げても痛みは出なかった。
 
 石毛は右腕を出して、軽く動かした。
 
「今も肘が伸びないんです。ネズミが大きくて動けなかったんでしょう。そのまま(肘などの躯が)成長してしまったので、ずっと曲がったまま。人から見ると異常なんでしょうけれど、自分の中では正常。曲がったまんまがぼくの正常なんです」
 
 剥がれた軟骨――ネズミは肘のどこか、痛みの出ない場所に落ち着いた。関節部分に軟骨が挟まっているため、肘は伸びないが、日常生活、投球に支障はなかった。
 
 この伸びない肘が彼の人生を左右することになる。

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