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松沼博久・雅之、ドラフト外の肖像#1――「お前なんか辞めちまえ」博久が初めて出会った、うるさい監督

日本プロ野球では1965年にドラフト制度導入後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。そんなドラフト外で入団した野球選手をクローズアップし、1冊にまとめたのが10月15日に発売となる『ドラガイ』だ。今回は収録してある中から松沼博久・雅之編をダイジェストで掲載する(全6回)。

2018/10/05

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のちの名将、木内幸男との出会い

 中学2年生の夏前から、試合に出るようになったが、目立った選手ではなかった。
 
「下手じゃなかったですよ。でも、活躍はしてない。それどころか、中3の最後の大会はぼくの暴投で負けたんです。三塁ランナーが飛び出したので、ホームに投げるじゃないですか。ところがぼくの投げたボールをキャッチャーが取れなかった。それで3年生の夏が終わったんです。その試合をたまたま見に来ていた親父から、〝お前のせいで負けた〟って言われましたね」
 
 高校でも野球を続けるつもりだった。ただ、強い誘いはなかった。
 
「そんな引っ張られるような選手じゃなかったんですよ。背は小さいし、脚がちょっと速いぐらい。取手二高に(中学校の)先輩が行っていて、来いって声を掛けてくれた。それで取手二高という名前が頭にインプットされていたんですね」
 
 取手二高は、茨城県取手市にある県立高校である。この頃、越県入学が認められていたため、隣接する千葉県から通う学生は少なくなかった。
 

 
「茨城なんですけれど、常磐線で柏、我孫子、取手という(順番で)電車で10分ぐらい。駅から歩いて5、6分なんで、家から30分ぐらいで着くんです」
 
 取手二高の野球部は甲子園には出場したことがなく、県内で中堅校という位置づけだった。入部してまず不思議に思ったのが、部員数が少ないことだった。最上級生の3年生は10人ほどだったが、2年生は5、6人しかいない。新入部生は14、5人ほどいるのに、なぜこんなに少ないのだろうと首を傾げた。

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